以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

体験価値仮説を越えよう! 価値提供ではなく、感動の伝達を。

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なるほど、「機能」や「性能」ではなく、「体験」だ!と言う言い方への違和感が分かった気がする!

きっと、この場合の「体験性」は、どうも機能や性能の総和(届けられる価値の一覧)を指していて、その先にある、使い手の育む「感情」(届けられた、何らかの感動)はあまり問題にしていないのだ。

 

メイカームーブメントが定着することで、今までの重く固く苦しい物作りは、もっと柔らかく楽しく軽い物になりつつある。が、一方で、そのことがどのような創造性をもたらすのか?は、まだまだ顕在化している訳ではない。

たとえば開発のイテレーションが早まり回転速度が上がったことによって顧客ニーズを汲み上げる機会は向上するだろう。つまり、機能や性能をいかに体験的な顧客側の価値として実装するのか?の追求については飛躍的に向上している。


だが、その追求の範囲では、やはりいつまで経っても機能や性能の向上のベクトルからは外れられない気がする。一方、いま新たに起こりつつある「製品と顧客の関係性」を洞察するなら、それはユースケース志向の顧客価値の次元を超えるものが、ますます求められているように思える。

一例を挙げると、ソーシャルロボットJIBOは空前絶後のスピードとスケールでクラウドファンディングを制圧した、ボストン発のメイカーズプロダクトだ。 


JIBO: The World's First Family Robot - YouTube

家族の団欒のど真ん中にロボットエージェントを持ってくるという今までにない野心作だ。ただ、ここで表現されている世界観は、明らかに「体験価値」という、有りがちなフレームワークを超えている。

それは、まさにピクサー・アニメーション初期の傑作とされる短編映画『ルクソーJr.』(1986年 ジョンラセター監督作品 上映時間2分)の現実化だと思う。


Pixar Shorts Collection Luxo Jr 1986 YouTube - YouTube

この世界観は「体験性の向上」という狭いフレームワークからは、決して生まれてこない。しかも、そういう世界観をユーザーニーズとしてインタビューやグループ・ディスカッションなどを通じて可視化するのは、ほぼ不可能だろう(ルクソージュニアみたいなロボットが家庭の団欒に欲しい!なんていう発言はまず期待できない)。

 

だが、ここで示されるプロダクトの付加価値はカタログ上のスペックとか、普通に想像できる使い勝手の良さとかではない。もっと、その世界でしか示せない固有の楽しさや豊かさを含んでいる。それは何かもっと人の感情を動かし、従来のテクノロジーの使い方よりも、もっと人の愛着や愛情に働きかけるものだ。

だから、ユースフルという次元を超えた、ラブアブル(つまり、愛すべき何かを可視化すること)という価値観がもっと認められるべきだろう!届けられる体験的価値よりも、それを用いることによる感動、感情的な豊かさを考えてデザインするべきだろう。

 

2月10日にファブカフェで開催するトークイベント「Open CU 夜カフェ アンドロイドはバレンタインチョコを作れるのか?」では、上のような問題意識に基づいて、愛ある感性をどのように物作りに活かしてくのか?のディスカッションと一部ワークショップをやります。

かなり楽しいイベントになると思いますので、ぜひ、お誘い合わせの上お越し下さい!バレンタイン特別企画のチョコレート・ドリンクも提供されるそうですよ!


OpenCU夜カフェVol.5 アンドロイドはバレンタインチョコを作れるのか? - OpenCU.com

 

セルフブランディングの弊害と制約について

自己認識と自分について

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「グーグルに挑戦する男」カッコ笑で頭出しに使われることもあるけど、もう少しマシと言うか、"がんばれ!"っていう期待を込めて、そう言ってくださる人もいる。

でも、自己認識としては、そういう風に思ったことは未だ無い。本音を言うとそう言う位置付けとかブランディングはある種の道具として使っているだけで、グーグルに挑戦するんだ!と言うマインドで事に挑むことはない。

ただ、きっと、世界規模でヒットを飛ばそうと言う意志で製品をやろうとすると、多くの場合は必ずグーグルにぶつかるだろう。または、グーグルの事業領域と全くぶつからずに何かテクノロジー製品をやるのは難しいだろう。

あるいは、反面それ(グーグルの存在しないテック領域)を見出したとして、その見出したという事実そのものが「グーグルを乗り越えようとするスタートアップ」という様な位置付けで捉えられる側面もある。

 

だから、何か世界規模で売れそうなテクノロジー製品をやろうとした瞬間に「グーグルへの挑戦」という枕詞が付いてしまうのは仕方がないのかもしれない。

そして、同時に、そういう枕がつくのは良い面もある。つまり、その時点で世界商品であるという認知を獲得できているわけだ。すると、事業規模や投資規模もグローバルのスケールであることを対外的に示すことが容易くなる。製品のプロモーションと考えれば、コスト対効果は極めて高いやり方だと言える。

一方、弊害もある。それは、グーグルとの対立軸という制約が科せられることだ。過去にも検索エンジンの対抗馬としてグーグルの弱みを突くような製品群は多数存在した。でも、それらはグーグル自体の努力で解消されてしかるべきものだったりして、それらのスタートアップは、結果グーグルのパッチ当てに貢献した様な形になってしまった。

または、もっと言うと、本来その新製品がグーグル対抗という以上の価値観や意味合いを持っていたとして、グーグル対抗軸で捉えることによって、その本来の可能性や潜在価値を消し去ってしまう面もある。

ソーシャルネットワークやメッセージングアプリが、従来のグーグル的な価値観とは離れた場で育ったからこそ、のびのびと生育した過去を考えると、グーグル対抗軸から外れることの良さや強さを認識できるかもしれない。

 

今、自分自身のマインドとしては、グーグルとの比較などは全く抜きで、これは本当に物凄いと言われるような製品を世界規模で育て上げることだ。

もちろんそこでグーグル的価値観やグーグルとの対立軸で受け止められたり、認知比較される場合も多いだろうし、それを全く気にしないでいるというのはとても難しいと思う。そして、それを全く度外視するのは(もしかすると)不自然だろう。

でも、対外的な設定に囚われて本質的な製品開発を忘れてしまったり、何か脇道に逸れたり、余計なことをするより、自己本来の極めるべき価値を極めるべきだと思う。そして、望むらくは自分の為し得た製品を他からのベンチマークにされる(あの製品を越えたいと思われる)ような高みに登りたいものだと強く思う。

 

下は頼山陽日本外史の著者)13歳の詩なのだが、こういう想いを忘れずに仕事に励みたいものだ。

十有三春秋
じゅうゆうさんしゅんじゅう
逝者已如水
ゆくものはすでにみずのごとし
天地無始終
てんちしじゅうなく
人生有生死
じんせいせいしあり
安得類古人
いずくんぞこじんにるいして
千載列青史
せんざいせいしにれっするをえん

 

仮想と現実をまるごと扱える? Microsoft ホロレンズの可能性と、その競争原理

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MicrosoftWindows 10イベントですごいデバイスが発表された。

 

HoloLenzだ。ホログラフィを眼前に投影できる透過型のヘッドマウントディスプレイ。

いままで、ハードウェアのイノベーションでは、必ずと言って良いほど後塵を拝し続けていたMicrosoft。「これじゃない感」しか無かったMicrosoftが、CEO交代して間がないにも関わらず実現した、素晴らしいイノベーションだ。

そして、それが本物のイノベーションと感じる理由はひとつ。AR(拡張現実)VR(仮想現実)をひとつの体験や体系にまとめられる最高のインターフェイスを提供できる可能性があるからだ。

 

それは、もちろん予想の範囲ではあったが、必ずしも早晩実現可能とは思われていなかった。エレガントで、最終顧客が満足出来るレベル(しかもリテールで受け入れ可能なコストで)のモノを誰がいつ作れるのか?それは未知数だった。

ところが、ホロレンズはそれを現実化しそうだ。ハードウェアデザインとソフトウェアデザインの双方で大きなブレークスルーをもたらしていることが予見されるのは、すでに流通している体験取材記事に垣間見れる興奮と熱狂がどうやら嘘じゃなさそうだからだ。

 

仮想と現実を統合して、シームレスなデジタル体験とネットワークとの接続共有をワンデバイスで実現する。これは長年の夢だった。

Google GlassOculus Rift は、それをそれぞれ違う方向から狙っていたように思える。

つまり、大きな山岳を全く別方向から掘り進めているトンネルのように見えた。だが、HoloLenzは、それを、それこそ山中のダイナマイトみたいに貫通させてしまったようだ。

仮想と現実を重ね合わせて現実世界を新しい情報レイヤーで覆う。そしてそれらを操作可能にする。その最終回答はApple Watchでも、Google Glassでも、Ouclus RiftでもなくMicrosoftのHoloLenzなのかも知れない。

 

いずれにしろ、シリコンバレージャイアント(Microsoftはシアトルだけど)達はコンピュータ革命からインターネット革命を経て、あらゆる物事をデジタルに扱い得る世界の実現に向かって一直線に進んでいるように見える。それはスマートフォンの性能向上とか、ウェアラブルデバイスの製品価値実証とか、そういった競争の数段上のレイヤーで進んでいると思う。

いわば、世界観とその実現の競争だ。デバイス自体とかソフト自体の競争の上のレイヤーにある、人の諸活動をいかにデジタル化するのか?の、理想や理念の競争だと思う。

残念ながら日本のスタートアップからは、なかなかそういう競争への参画は行われていない。が、今後は、同じレイヤーでの競争に参画するプレイヤーもきっと出てくると思う。

 

それは従来のパーソナルコンピューティングやインターネットサービスの競争軸から、より物理的に人と関係するデバイス込みのイノベーションが、いままさに問われているからだ。

フィジカルコンピューティング(物理世界との対話を可能にするコンピューター技術)の世界は、日本社会や日本文化の下地にとても合っている。

したがって、この領域での競争を戦っていく上での基礎体力がそもそも有る。そういった意味では、この領域でのイノベーションを起こしていくことが、世界規模で求められていくのではないか?この Microsoftのホロレンズを見て、それに驚き、でも、それへの対抗軸を構想し、さらに実現を目指せるプレイヤーの一角に、日本のスタートアップがいるのだと思う。


速報:マイクロソフト、メガネ型ホログラムコンピュータHoloLens発表。視界に3D映像を重ねて表示 - Engadget Japanese

 

ドキドキではインターンを募集します。

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モノと人が自然に分かり合える世界。ドキドキはそんな新しい世界観を追求し、今最初の製品開発を進めています。

今回は社長アシスタントを一名募集します。世界中の素晴らしい起業家や投資家、発明家、デザイナー、クリエーター達を相手に、世界を駆け巡る仕事です。

英語のコミュニケーション能力が必要です。予期しないような新しい出会いやコラボレーションに怯まない、臨機応変な適応能力が鍛えられます。

世界を変えられるような、イノベーティブな製品の育っていくプロセスを体験しながら仕事ができます。

業務内容:社長アシスタント(コミュニケーションワークおよびオフィスワーク)

必要なスキル:英語によるコミュニケーション能力(海外留学の経験あるいは海外インターンの経験または、それと同程度の能力)。今回の募集は学生に限定しません。

一般的なコーポレートワークができること(資料作成、スケジュール管理、入出金管理など)。ある程度の期間にわたって仕事のできる方を優先します(三ヶ月以上)。

勤務地:原則、日本国内ですが、海外出張の可能性もあるため柔軟にスケジュールを組める方を優先します。

あなたの Facebook または LinkedIn ページへのリンクを添え、下記のメールアドレス宛にご連絡ください。締め切りは2月1日。東京都内で面談した上、2月中旬迄には採用を決定します。早期に決まった場合は、募集を締め切る場合があります。奮ってご応募ください。

taka@d0kid0ki.com

 

サンフランソウキョウを心から愛する。

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サンフランシスコと東京に住んでいます。

SekaiCameraをTechCrunch 50で発表したのが2008年。TelepathyをSXSWで発表したのが2012年。いまはDOKI DOKIという始まったばかりのスタートアップで、IoTデバイスを開発しています。

 

サンフランシスコと東京、テクノロジーの世界的二大巨頭。そして、世界でも最も物価の高い都市。ディズニーの映画「BIG HERO SIX」では「サンフランソウキョウ」として、まとめて描かれたこの二都市は太平洋を挟んで極めて近く、同時にとても遠い不思議な関係にあります。

非常に個人的な印象なのですが、サンフランシスコでは東京はとても精神的に受け止められているように感じます。そして、一方、東京ではサンフランシスコは極めて物質的に受け止められているように感じます。

 

偶然フェリービルディングで出会った、音楽家とその奥さんと盛り上がったのは、ハルキとミシマについての話題でした。サンフランシスコでは、そういう事態は、あまり珍しくありません。

一方、東京でよく尋ねられるサンフランシスコ(多くの場合はシリコンバレーと混在している)のポイントは、テクノロジーを集約・集積した施設や団体についての「どこが中心なのか?」という疑問です。ところがサンフランシスコには、そう言った具体的な、何か分かりやすい「存在」は見つけ難いでしょう。

僕の目には、東京は、極めて即物的な消費文化のダイナミズムを体現しているように見えます。そして、サンフランシスコは、禅的な美意識やヒッピー・カルチャーに代表されるオルタナティブ性を宿した、極めて精神的な場所に想えます。東京にいると消費に強く向かう引力を感じる一方、サンフランシスコは重力を失った、とても思索的な空間の様に想えます。

 

映画「BIG HERO SIX」のケアロボット「BAYMAX」は、とても礼儀正しく、律儀で丁寧です。彼は日本的な労わりや癒しの精神と、カリフォルニア的なギークイズムの集大成のようです。

また、その舞台になった「サンフランソウキョウ」は、トーキョーの持つチャーミングな魅力をサンフランシスコに美しく散りばめた、理想都市として描かれています。

巨大な社会的ストレスやクラスター同士の軋轢を抱え込んだのがサンフランシスコの現実です。だからこそサンフランソウキョウは想像のユートピアとして、限りなく幸せな世界に描き出されているように感じられます。

テクノロジーのユートピアを願ってやまない、しかも、東京とサンフランシスコを愛してやまない自分です。ベイマックスとサンフランソウキョウの描き出す世界は、いつかは叶えたい未来の姿です。だから、この住みにくいサンフランシスコに住んでいるとも言えますし、たまには東京に戻れる良さも十分に有る!と、言えるのだと思います。

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From San Fransokyo with Love. — Medium

 

製品を説明する人、製品を伝達する人。 - 禅・オブ・プロダクトマーケティング -

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説明すると伝達するは、まったく別物だ。

 

プレゼンテーションでも、プロモーションでも、その違いがまったく意識されていないような気がする。


製品開発者やサービス設計者は、とにかく説明をする。


いったいそれが何なのか?それがどういう価値を持っているのか?正確に、俯瞰的に、丁寧に、印象的に、具体的に、自信を持って。

でも、本当に欲しいのは、果たして「理解」なのだろうか?それを、ちゃんと正しく、「理解」してもらうことが目的なのだろうか?

 

実は、それは全く間違った考え方に思える。


なぜかというと、製品の与えてくれる良いこと、有り難さ、あるいは嬉しさ、楽しさは人によってまったく違うからだ。同じものでも、受け手によってそれぞれ異なる。それは製品インタビューや試作品試用の最中に、作り手がもっとも驚くことだ。

 

製品企画者や開発者は当然、それぞれの理解や納得で、その製品を深く、何から何まで知っている。そして、心から愛している。

では、それをまるごと正しく説明して、その説明を、そのまま正しく理解して欲しいと思うのは正しいことだろうか?

 

そう、そもそも、それはとても難しいことだ。

 

製品の理解を右から左に完全複製するのは、とても困難だ。理解は理知的な行為だし、その前提として、その製品を好きにならないと、決してそれを知ろうとは思わない。

好意や愛着がない理解は存在しない。だから、"伝わらない"限り、"理解"は発生しない。

もしも、本質的な製品価値が「伝えられ」たら、それを知る人は、それぞれその人なりの理解や納得で勝手に使い方や使い良さをイメージし、みずからのストーリーやユースケースを描き始めるだろう。

それが自然に思い浮かび、勝手に作り手の思惑を超えて駆け出し始めるのが、まさに「伝わった」と言うことだ。

 

もしも、理解を求めると、結局、それはある種の答え合わせを強いることになるだろう。だが、「伝える」ことができれば、それは答え合わせではなく、自由作文の世界になる。

人は、いきなり壮大な冒険談を書くかもしれないし、コメディを思いつくかもしれないし、ラブロマンスを描き始めるかもしれない。それは、まったく自由な世界だ。

良い製品は、そういった創造的な発展をもたらせる「自由」を内包している。

 

人に製品理解を求めてはいけない。

 

人に製品価値を伝えたら、あとは人の自由に任せるべきだ。バイラル(伝染的)という効果は、本質的には、その自由な想像力の中にこそ存在する。想像力を刺激するには、「理解」を求めてはいけない。「価値」を伝えるべきだ。そうすれば、想像力は勝手に駆け始めし、ありがたいことに、作り手の期待や思惑を超えて勝手に拡がっていく。

 


Apple Music Event 2001-The First Ever iPod Introduction - YouTube

Jobs が最初の iPod をプレゼンテーションした 2001年のアップル主催イベント。驚くほど愚直に製品価値を伝え続けている。強烈なデモンストレーション。実に圧倒される。製品開発者は、製品を説明してはいけない。本当は、誰もそれを求めていない。その製品価値に触れて、もしそれを好きになったら、理解や納得は自ずと生まれる。

 

発明の道具を発明する。 - MESH のチャレンジが意味するもの -

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発明を発明する?

道具のための道具をつくる?

それらは、とても奇妙な言い方かもしれない。でも、新しい時代はそういった創造性の再定義を求めている。人が人の創造性を再発見する!?それはいったいどういう意味をもつだろうか?


メイカーズ?インターネットオブシングス?ファブの時代?

それは突き詰めると、アイデアがどのように現実の製品、つまり物に実を結ぶのか?の巨大な変化の到来だろう。
ソニーが社内スタートアップとしてインキュベートしているMESHは、まさにその課題に正面から取り組んでいる。


一見レゴブロックのようなメッシュはどうしても誤解を受けやすい。一見ニューヨーク発のリトルビッツのようだ。あるいは、多種多様なインターネットオブシングス向けのデバイス群にもいろんな部分で似通っている(数え上げるときりがない)。

が、それは事の真相ではない。MESHの真相は、それらのモノを自由自在に組み合わせ、動作させるソフトウェア環境だ。もしかすると、インターネットオブシングスの抱えている大きな課題。つまり、「それを人はどうやって扱うのか?」を解決するのかもしれない。クリエーティブなソフトウェア創作のための道具がMESHの真骨頂だ。


リトルビッツを筆頭として、非常に多くのインターネットオブシングス向けデバイスと開発環境がしのぎを削っているが、MESHほどエレガントで、カジュアルな環境は他に無いだろう!


個々のデバイスの機能や仕様に心を奪われている現状は、まるでアップルコンピュータが登場する前のコンピューターホビークラブ全盛期のようだ。まるでキットの組立てが名誉であるかのような、それらがギーク自慢の手作り品である限り、IoTの世界は普遍化しないだろう。
であるならば、ハードとソフトをいとも簡単に結びつけ、誰もが日常的にそれらを操ることができるソフト環境を準備すること。それ以外にIoTの未来はないと断言できる。

そして、ソニーから今まさに生まれ出ようとしているMESHこそが、その解答を手に入れようとしている。

「それを人はどうやって扱うのか?」これは簡単な問いかけだが、解答するのは簡単ではない。そして、それは日常的な創造性の表現(誰でも発明できるようにすること)を可能にする。とても大きな一歩だと思う。

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Sony-Backed Mesh Sensor Kit Looks To The Crowd | TechCrunch


Simple question, But hard to answer. — Medium