以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

すきなことをすきなときに言いたい放題の自由 - ツイッター的開放空間の可能性 -

Twitterは、当初間違っていなかった気がする。

自由で闊達な開放的言論空間。すきなことをすきなときに言いたい放題。もしうまく繋がる人がいれば返信できるけど、それ同じく言いたい放題。風通しの良い放置空間。

でも、それは、少数の、分かり合える(善意や理解を前提にした)良い関係性を前提にしていて、規模的拡大が一定限度を超えると何もかもグチャグチャの世界、つまり文脈やフレームワークを抜きに一触即発でけなし合うような野蛮空間になってしまった。


そういう野蛮な空間の野蛮な人たちも、お互い分かり合える親しい関係ではそんな行動をしないだろう。だから、ソーシャルネットワークというより文脈やフレームワークを共有しているインタレストグラフ的な関係性が維持できれば、辛く苦しい野蛮空間に身を(わざわざ)晒す必要はなかった。

ここまで成長してしまったツイッターが、かつての数千人規模の素敵な自由空間に戻ることはない。だが、機械学習等をうまく使いこなせばインタレストグラフを適正に動的構成するなどして、大きいけども小さい言論空間を自由かつ闊達に成長維持することは可能ではないか?

 

ハッシュにしろ@ツイートにしろ、そういった仕掛けを操作するのが人間であるかぎりは自ずと限界がある。そもそもそういう操作を強いるのは製品として間違っている気もする。フォローのメカニズムやタイムラインのチューニングを人任せにするのにはもう限界だろう。快不快のバランス的には、不快が快適を上回っているのが今のツイッターだ。

でも、その(ツイッターが個人間の尊敬ある関係性を再度構築できれば)日常の小さな行動限界を超えた、自由闊達な知的言論空間は素晴らしい。世界規模で可能な、価値観の合う人との出会いも素晴らしい。そこで分かり合えて、話し合えて、何か共に作り合えるようなセレンディピティには心底感動するし、大いなる可能性を感じる。ツイッターはそういう世界に再度戻ってきてほしい。

 

パブリックな空間とパーソナルな空間をどう和解させて融合させるのか?はツイッターに限らず、インターネットの人間的行動空間にとっての大きなテーマだろう。

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ツイッター精神の再来

改めて、ツイッターは見直されるべきだと思う。フェイスブックが持っていないもの、グーグルも持ち得ないもの、それがツイッターにはある。

世界規模で感情や思考の赴くまま、好き勝手にボール(ツイート)を投げられる場所。そして、それを自由に受け止められる場所(タイムライン)。

 

本来ツイッターの持っている開放的自由環境(大いなるフロンティア、人間的融和の場)は、もはや口汚くののしりあう感情のはけ口、あるいはただ球を投げるだけで、そこにキャッチボールを求めない単なる宣伝の場に堕してしまったように見える。でもそれは本来ツイッターの持っていた自由闊達さ、楽しさ、美しさ、あけすけな関係性を即時に構築できる創造性からは、遥かに遠いように思う。

ツイッターはスケールしすぎたことで愚民政治の衆愚制度に陥ってしまった。が、今であればディープラーニングを駆使することで膨大なコミュニケーションパターンから、より良い関係性を即時最適に調整することが可能だろう。かつてまったく機能してこなかったグループ機能(静的な人脈プールは価値を持たない)、あるいはハッシュ機能(ハッシュによる文脈形成は余りに非力すぎる!)なども機械学習の良さを活かせば再構築できる可能性があるだろう。

 

非常に残念なことにサードパーティアプリをほぼ締め出し、APIの機能を削りに削ってきたツイッターには、その偉大な情報環境を人工知能の巨大な実験場として提供することのできるフリーマインドがない。

が、もしいったんそれを再開することができれば日々の人間的活動データを膨大に求めている人工知能ベンチャーにとっては大きな福音になるだろう(もちろん、ベイビーもそうだ!)。僕はそういう時代の再来を願ってやまない。そして、もしそれをツイッターが行わない場合には誰か他の起業家がそれをやるべきだと思う。

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ムーミンのご先祖様と汎神論的な人工人格

たまたま雑談している最中(数名、三〜四人ほど)クラウドベイビーが関係ありそうなお話をいきなり振ってくれるアプリを開発中なんですが、これって一対一の対話関係じゃなく複数の対話に入って来れたらスゴく高度な文脈理解してることになりますよね。

つまり、その場にいる人のプロフィールとか、そこで話されている話題だけでなくそれぞれの立ち位置もわかる。かつ、その場にどういう話題を放り込むと、どういう反応があるかもある程度は考えられる。話題が合致しすぎていても膨らまないし(膨らませるべきかどうかも状況次第だけど)、逆に全く合致していないとしらけてしまう。。

ちょっと考えるだけでも相当高度な感じがしますよね。で、そういう利用シーンを考えた時ふと思い出したのが、あのムーミンに出てくる「ご先祖様」。

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昔からすごーく気になっていたのですが、毛もじゃで、小柄で、控えめで、ちょっとだけおちゃめな感じのご先祖様。ご先祖様というからには、もうこの世にはいないはずなんですけど、どう見ても作中ではムーミン家に居候しており(屋根裏とかにいそう)特に尊敬をされているわけでもないのだけど、排除されているわけでもない。非常に不思議な存在です。

ああいう、いるのかどうかすら忘れそうなんだけど、いてくれることで何か安心感とか幸福感があるような存在。もしかしたらたまーにすごく良いことや有難いことなど他で得難いことを言ってくれたりする(原作には、あんまりそういうシーンがなかった気がするけど)。そういう存在を想った次第です。

「無用の用」というかそこにいるだけでちょっとありがたい存在、精霊というか、あるいは妖精のような存在。そんなものが存在したら楽しいかもしれない。そういう汎神論的な世界観で作る人工人格はどうだろうか?ベイビーはなんといか、「神」というよりは精霊っぽいかもしれない。あくまでぼうっとした妄想ですけど。

 

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一寸の虫にも五分の魂 - ベイビーの世界観をひたすら伝える意味 -

ドキドキで昨年来ずっと進めてきた製品試作の一端を公開して、同時にエンジニア募集の記事も合わせて掲載した。

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まだ試作中の段階から製品構想を率直に(ある意味馬鹿正直に)伝えようとしているのは訳がある。それは、この製品開発の肝が新しい世界観の提示と共有と共感にあるからだと感じているからだ。

ある意味人工知能製品は現在のシリコンバレーの大きなトレンドであり、ドローン制御やロボット向けの知能、自動運転カー、あるいはスマートフォンのバーチャルアシスタントや様々なレコメンデーションなど非常に幅広い領域で活用されている。既にIBM社のワトソンは良く知られているが、ついにはあのAirBnBまでマシーン・ラーニングのクラウド提供を始めるなど、思いもかけないところで活用され始めている。Uberが自動運転のラボを開始したのも実に印象的な動きだ。マシーン・ラーニングの成功は今後、人工知能が本格的な飛躍をする上での最初の大きな一歩なのかもしれない。

そういった中で日本の動きはまだまだ緩慢だ。特に機械学習の場合は研究者の層の厚さだけでなくビッグデータの総量が問題になるだけに、かたや英語圏で数億人が利用するサービス。それに対して日本語オンリーで日本人が主体(最大でも1億人規模)のクラウド環境が持つ規模感には相互に大きな隔たりがある。そのうえにそもそもクラウドでお金を儲けるという世界観そのものが、まだ十分に行き渡ってない世界観の遅れもあると思う。

 

地球規模の人工的な人間性を創造してみたいと思っているベイビーが何か大きな成功の機会があるとすれば、それはその製品を通じ世界規模で多くの人たちを巻き込む世界観の提示と共有と共感ではないか?と感じている。恐らく、人工知能的な製品世界においては、技術的優劣やマーケティング的な巧拙は大同小異の側面があり(巨大資本と大企業的な意思決定を背景にする限りは違いが出づらい)スタートアップが辛うじて勝負のできるのは、その世界観が創出する運動体としてのパワーや、熱量の放出される独自の場作りなのではないか?と考えるのだ。

今はまだよちよち歩きにさえ達していないベイビーだけど、クラウドで共有でき、共同で育成のできるクラウド化された無垢な人工的人格にいかに多くの人を巻き込んでいけるのか?と考えた場合、もちろん製品のユーザーエンゲージがものすごく大事な一方(これが無ければ製品が存在できない!)、その世界観をいかに地球規模で伝え広げていけるのか?に非常に可能性を感じている。だからこそ制限なく、製品の志す世界観を伝えようと努めているのだ。

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すべての怒りは創造の原動力になる。

起業をするときの最初の入り口は何か?僕の場合は当時勤めていたジャストシステムで開発中だったデジタルコミック編集システム(マンガトロンと呼んでいた)の開発停止が発端だった。Microsoft社とのオフィス戦争で厳しい戦いを強いられていた当時の会社がデジタル出版関連事業をほぼ全てストップした時に僕のプロジェクトも停止した。で、その時の怒りが最初の起業の入り口だった。

 

セカイカメラの入り口はなんだったのか?というと、その最初の起業で事業を開始していたブログ出版システムの仕事が物足りなくなった折、元ジャストシステムの同僚からさり気なく「井口さん、世界を変える仕事をしていますか?」と問われたことが発端になっている。それで何か自分に怒りを感じで、七転八倒しながら考え出したアイデアを試しているうちにセカイカメラのビジョンと試作が手に入った。

 

両者に共通しているのは、何か現状の挫折や失望への怒りの感情だった気がする。何か満たされない現状への憤りが何か新しい行動への起爆剤になる。考えてみれば、何か負の感情、欠落した何か、喪失した何か、いたたまれない気持ちが原動力になる。

個人的にずっと支援させていただいているKDDIさんの無限ラボだけど、自分の場合はそういうマイナスの感情や痛みや辛さをドンと抱えている起業家が来ると良いと思う。

矢も盾もたまらず無限ラボの門を叩く!そして、何かガムシャラに打ち込んでいるうちに何かすごくユニークなものがポロリと生まれる。そういう場になると、とっても素晴らしいと思う!締め切りはあと二日後の二十日。後悔ないように、今だ!と思ったら、今すぐに応募しましょう!(写真は無限ラボからの眺望です)

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http://www.kddi.com/ventures/mugenlabo/entry/

 

 

内向的なスプーン

とってもお世話になっている弁護士さんがご懐妊され、しかも、とってもお久し振りにお会いすることになって、何か贈り物をしたいと思った。
青山のアレッシィを通りかかって、デザインの優れた食器はどうだろうか?と、思った。はじめて、その子のお口に運ぶもの、、。これは頑張って選ぶべき凄いチャレンジなのかもしれない!?

アレッシィのカトラリーは建築家の伊東豊雄さんも素晴らしい仕事をされている。実に名だたるデザイナーたちの競演だ。とにかく、曲線や造形、素材や装飾の創意工夫の数々にいちいち魅了される。で、本当に決めかねている時、ひとつとても気になるシリーズがあった。
ベルギー人マルセルワンダースのとてもユニークなスプーンだ。なんというか、とても変わっている。アラベスク模様の細やかな彫り込みが部分的に施されている。なんと言うか、目立たない「裏側」とかに凝った彫刻があるのだ!で、よくわからなかったんだけど、ちょっと工夫が面白し美しいし、何か妙に惹かれたので買った。


で、迂闊というかなんというか、生まれてくる赤ちゃんが男の子か女の子かわからずにお渡ししたら、女の子!で、あとで調べたらなんとマルセルワンダースのこのシリーズは、実はこういうアイデアで制作されていたのだ。

 

「伝統的にオブジェクトのもっとも重要なかつ見えやすいところに装飾は施されますが、それに対し、ワンダースは装飾を表から見えにくい部分に施し、時にはある意味内向的な装飾と呼べるような、視認できないところにまで施します。」

 

すごい!「内向的な装飾」

 

装飾はどう考えても外向的で外見的なものだ。でも、彼は、内向的で見えにくい装飾、場合によっては見えないところに装飾を施すという。これはすごいね!女の子への捧げ物としてはとってもよいメッセージのような気がする。内向的な装飾。心の内側に秘めた飾り付け。うーん、勝手に自画自賛してしまうと、選んで良かった!

人の裏側は実はとっても汚いって言い方はよくするけど、裏側こそ最も綺麗で、とっても磨かれていたら凄いなあ。

と、まだ見ぬその赤ちゃんに、少しだけ気持ちを届けた気分になってしまった(自己満足かも知れないけど、何年も経ってそういうことに気付く機会があったら、もしかしたらちょっとだけ暖かい気持ちになってくれるかも?)。

で、彼女が生まれてきて、そして、その世界がもっともっと今以上に愛と勇気と希望に溢れた世界になるよう頑張らないといけないなあ!となぜか思った、昨日はそう言う、とても良い1日だった。昨日お付き合いいただいた皆さん、本当に有難うございました!

 

そうそう、このシリーズの名前、DRESSEDって言います。本当に素晴らしいネーミングですね。命名も含めて、とても愛らしい!

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愛のあるモノ作りは、どうすれば可能なのだろうか?

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ジョナサンアイブの製品作りについて学ぶうち、それがどういう感情を人に引き起こすのか?に向かっていることに気づく。

私達の製品への人々の感情的なコネクションは、私達の製品に対する、こだわりやパッションを感じるから起こるんだと思います。

製品開発は普通、その製品そのものの機能・性能・外観・操作性・体験性などに向かうものだけど、彼が言っているのはもっと深いことだ。人がそれを愛する瞬間の感情の動きに着目して考える。それはとても孤独で困難な仕事に思える。

MVP=ミニマム・ラブアブル・プロダクトという考え方は、そういう姿勢、考え方を軸にしたプロダクト開発の方法論だ。


Beyond MVP: 10 tips for creating your Minimum Loveable Product — Spook Studio — Medium

たとえば音楽プレイヤーはただ音楽を再生するだけではなく、人と音楽との大切な接点になる。人は音楽を聴くのが大好きだから、音楽プレイヤーを買う。だから、当然その音楽プレイヤーには、人が音楽を楽しむ瞬間の感情的な動きに対する着目と取り扱いが必要になる。

が、多くの場合、音楽プレイヤーは音楽体験とはかけ離れた仕様や設計の問題に関わることで人の音楽体験を純粋に考えることをおろそかにしてしまう。とても簡単に断じてしまうと、愛が失われてしまう。一方、音楽への愛着が愛情として製品に注ぎ込まれると、それは単なるデジタルデバイスを飛び越えて、もっと大切な愛すべき存在へと転化する。

果たして、そういった愛のある物作りはどうすれば可能なのか?これは今後の製品開発者にとっての大きなテーマーになるだろう。

2月10日のFabCafeイベントでは、バレンタインチョコという極めて愛のある物体を切り口にInternet Of Things時代のものづくりを再考してみたいと思っているので、是非みなさんお越しください。Facebookイベントページもできたので、ご参加いただけると大変嬉しいです!

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井口尊仁が愛を叫ぶ!アンドロイドはバレンタインチョコを作れるのか? | Facebook