僕らは物語のある世界に生きている。
子供時代に物語を大いに吸収することがいかに大切か?
宗教もビジネスもサイエンスも哲学も社会通念も革命も交渉も旅行もデートも起業も、結局帰着するのは「物語」あるいは「物語構造に則った人の心の変化」ではないか?
子供時代にオズの魔法使いや黒馬物語やロビンソンクルーソーや竹取物語やモモや長くつ下のピッピや三銃士や神曲やオデュッセイアや三島や谷崎や川端や村上やガンダムやエヴァやアキラや攻殻やドラゴンボールやナルトやケロロや星の王子さまや赤毛のアンやムーミンやドリトル先生や月世界旅行やコンチキ号や千夜一夜やアーサー王やホームズやらなんやらを思い切り色眼鏡なく読んでおく体験は本当に得難い。
時間軸と空間軸で物語の多様な時空世界を把握認識してそれをある種の道具として脳内に蓄えおくことの効果効用はとても大きい。
それがビジネスのテンプレートにもなれば、様々な宗教観念や哲学倫理や美意識や経済や広告やシステム開発やデザインや起業等々の物語や歴史を語るツールにもなる。そう考えると20代で松岡正剛さんから薫陶を受けた物語学の概念はとても意味があるものだったと改めて思う。
世界を旅して人と会う際、向こうが日本文学を熟知していたりするとやたらに嬉しいのと同じで、僕らが相手の持つ文学的素養を会得していると本質的な深みやリアリティとしてお互い分かり合える。そういう意味では、語学や論理の学習以前に物語を学ぶ子供時代は実に大切で価値があると思うのだ。