アイデアをデバイスにすると言うこと。ウェアラブルデバイスの存在理由とはなんだろうか?
さて、ウェアラブルコンピュータの二大課題。
まずひとつめはモーニング・プロブレム。それを朝装着して出掛けられるかどうか?
そしてもうひとつはイブニングプロブレム。夜ちゃんと継続的に充電されるかどうか?
朝起きて、無意識に装着するレベルでないと持続的な製品にはなれない。そして、夜にはいくつか限られた充電対象になれないと、同じく持続的利用は期待が出来ない。
いずれにしろ、"ウェアラブルになった"という段階で止まっていては最終製品として成立できない。
それが日々充電をされ、それが朝にウェアされる習慣的な利用に至らない限り命はない。ウェアラブルデバイスの至上命題だ。
そして、自分のアイデアをデバイスにすること。
それは自分の場合には「コミュニケーションの新しいスタイルを世に問う」ことと同義だ。
更にいうとテレパシーの場合は、ある意味、電話の次の新しいスタイルを志している。たとえば言葉に映像が伴う、それに加え経験や感情を共有することのできるシェアリング・デバイスだ。
ウェアするということから製品企画を導き出すなら、それはより親密で、ホットなやりとりを可能にするデバイスになるだろう。その仕様・機能・性能・外形など、すべてがその体験性及び顧客満足に対して貢献し無くてはならないと思う。
グラスは情報処理の道具としては一定の完成度に至っているし、ウェアすることのできるコンピュータとして、そのデザインは一定のレベルに到達をしている。その開発は凄く筋の通った極めて効率的なプロセスを経ていると容易に想像できる。
が、そもそもウェアするコンピュータが情報処理デバイスとしてスマートフォン以上に成功するのか?僕は個人的には、コミュニケーション・デバイスとして受け入れられる可能性のほうがより高いと思っている。
出来れば、人のコミュニケーションの変容を促す様なデバイスが望ましい。なぜなら、それこそが今迄コンピュータがやってきたことだったのだから。コミュニケーションの発展発達こそがパーソナル・コンピュータの真骨頂だった。
ただ、ウェアラブルデバイスがコミュニケーションデバイスとして成熟するには、よりその目的に合致した洗練されたデザインと非常に優れたアプリケーション。および極めて最適化された操作性の実装が含まれている必要がある。
大きなパラダイムとしては、現状有るスマートフォンよりずっと簡潔で、よりストレスの少ないものでなければならないだろう。
例えば、昨今話題のスマートウォッチ以上にシンプルで操作する上での快適性が高い製品に仕上がらなくてはならないと考える。個々の機能や性能より「体験」としてのエクセレントが肝心だ。
ウェアラブル市場は、アイデアやコンセプトが良いのはもはや当然であって、それをいかにして最終製品として結実するのか?そして、それをいかにして最終ユーザーに向けて届けられるか?のステージに到達していると思う。
それはきっと一部のギークだけに向けたガジェットの域を超えるだろう。そして、最近アップルがティファニーのCEOをハイアリングしているように、もっと「心の満足」に訴えかける様なコンシューマー・ブランドを構築する必要があるだろう。
人の心に豊かな充足をもたらすような製品開発とそのブランド化。それを世界市場に於けるヒットを考えた場合、それは「機能」の開発を超えた「体験性」の開発および浸透を実現できなくてはならない。それ自体が人と人の暖かい繋がりあいを想起するような製品であるべきだ。
ウェブやアプリのコミュニケーションはその進化の過程で、どんどん言語の領域を超えつつ有るのが現状だ。そもそもフィーリングやセンス、ムードやシチュエーションをお互い親しい同士で交換共有するコミュニケーションは、ウェアラブルの利用感覚に凄くマッチいる。
LINEやFaceTimeの様なリアルタイムなコミュニケーションツールの世界観は、ウェアされたコンピュータだからこそより親密に豊かに味わえるだろう。
ただ、一方、それをパブリックに開放し、オープンにシェアするのは意外とハードルが高いかも知れない。
人が感情をオープンにやりとりするには、まだまだ世界はそれほどには寛容ではないかもしれない。
でも、それも例えばポストペットの様な擬人化手法などを用いることで、ある種エンターテインメント的な方法に置き換え、新たに人と人のコンタクト方法、コミュニケーション方法を再構築することが出来そうだ。
そういった意味では、アイデア次第で人のライフスタイルや社会的インタラクションを書き換えられる、非常に大きな潜在的可能性がウェアラブルにはあると思う。
だからこそウェアラブルは面白い。スマートフォンのアプリを開発する視点よりもっと柔軟で動的な考え方が求められるだろう。
「アイデアをデバイスにする」とはそういうことを意味していると思う。