以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

チャラさの効用 - 先端技術と付加価値をつなぐもの - ウェアラブルデバイス考

チャラいって英語で何というのだろうか?

チャラいは、日本だと「軽薄で、移ろいやすく、芯がない、堅くない、いい加減で、深みのない状態」を指す。決して良い形容詞ではない。さて、ウェアラブルデバイスは今、最もチャラさが求められていると僕は考える。

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Glassのリリースを目前して、多くのウェアラブルデバイスの提案が為されている。が、良くも悪くも、特にアイウェア系のウェアラブルは技術中心の提案がほとんどだと言える。

でも、一方でGlassがコンシューマーに持ちかけている提案は「技術」ではなくって「スタイル」なのだと思う。全部のモジュール(PC、センサー、バッテリー、光学、カメラなどなど)を軽量小型のメガネ型デバイスにまとめあげ、日々眼鏡を着用する様なスタイルで使う。それこそカラー・バリエーションも、メガネフレームの形状選択も、いわばスタイルとしての提案であって技術の提案ではない。だから、それはとってもチャラい付加価値提案なのだ。

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逆にチャラくない付加価値提案。これは何しろ、普通の人間にはよく分からない。自由曲面型光学、ジェスチャー操作、画像認識処理、非接触型充電、etc… etc… もちろんウェアラブルデバイスを開発するエンジニアのみが購買層なら、そして、それが研究開発目的のみなら非常に意味が有るし、価値も有る。

でも、それらは残念ながら技術のための技術でしかなく、普通の人の日々の生活をいかに豊かにするのか?を意味しない。

いかなる素晴らしいディスプレイも、ユーザー・インターフェースも、あるいは超小型のアプリケーション・プロセッサーも、最新型の他軸センサーも、高解像度のカメラ・モジュールも、それらが日々の生活でとても良く役立ってこそ価値があるし、意味がある。

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あるいは、そもそもそれらのハイテクが素晴らしい体験性を伴って(クラウドやアプリの実装レベルがちゃんと伴って)日々のライフスタイルに浸透する可能性を持ったとして、それが極めて洗練された美しいデザインに依ってウェア可能にならない限りは、ある意味「絵に描いた餅」というか、単なる技術サンプルの域を出ないだろう。

でも、デザインは感性の世界であり、その一方で極めて客観的なサイエンスの世界でも有る。だから、特にウェアラブルは外観の出来云々だけでなく装着時のルック・アンド・フィールが良くなくてはならない。人の挙動や身体的な都合にフィットしないとならない。

直近の例で言うとUP BANDのフレキシブルなメカとデザインはその顕著な成功例だと言える。だから、UPはむしろスタイルの提案であり、それが想定するターゲット顧客の日々の行動や価値観にマッチしているからこそ高い評価を受けている。

テクニカルには平凡でもそれが素晴らしく良いライフスタイル提案をもたらしてくれれば(ヘルスケアをカッコいいバンド装着で余り意識しなくても行えるというのは、とても便利で気楽な体験だ)、それは良い製品だ。

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そう、いずれにしろ、極めてチャラい価値提案を実装・実現して、それが顧客に届き、十分な評価を勝ち得て、結果ようやくウェアラブルデバイスは本物になる。チャラいものバンザイ!なのだ。