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以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

新機能を開発するのではなく、新しい習慣をデザインしよう。

日本のスタートアップに欠けていること

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今日は渋谷のFactoryでPicoTubeやCrowdnest、ボンノウやワンダーシェイクのファウンダー達と語り合う機会があった。アイデアとイメージが豊富な皆と製品に付いて熱く語り合える貴重な機会だ。彼らの製品は、グローバルに送り出しても充分に輝くことのできるポテンシャルを有している。

けど、(今日に限らず)常に懸念なのはマーケティングイデアがまだまだ足りないんじゃないか?ということだ。それは販売促進云々とか、リサーチがどうこうと言うよりは、それらの製品を通じてどういう価値観が生活様式の中に浸透して行くのか?の深く鋭い洞察の有無だ。

 

これからの製品はテクノロジー単体の状態よりも、もっと人の生き方や行動スタイルに鋭く切り込んで行く必要があるのでは無いだろうか?

僕自身、アプリケーションはもはや単なる機能の提供であることでは飽き足らなくなっている。それは願わくば、新しい生活習慣をもたらすような存在であるべきだと思う。

それは新しい挨拶、新しい表現、新しい交流、新しい行動、新しい購買、新しい価値観であるべきだ。その製品名が新しい(新たに日常化した)行為を指す「名前(動詞)」になれば本物だろう。

 

日本のアプリはすごく頑張っているものが多数ある。けど、圧倒的にマーケティングが弱いと感じる。素晴らしい製品も、それをどういったメッセージでいかにデリバリーをするのか?が、とても素晴らしいアイデアによって実現されないとコンシューマーに響かないし、受け入れられない。

それではいかに凄いアイデア、凄いテクノロジーでも生き残れないし、たとえ生き残ってもスケーリングしづらい。凄いマーケティングを行う事で販売促進コストが圧倒的に活きるだけでなく、ブランディングやユーザーとの紐帯/継続的なエンゲージメントにも繋がる。

製品価値をいかに見極め、いかに届けるか?の技術はある種のアートだと思う。

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新しい機能よりも、新しい習慣を

例えば、iPodは単なる音楽プレイヤーの域を超えた製品だろう。それはある種の価値観、ファッションや生き方の表明だとも言える。

それはiPhoneiPadでも同じ事。それらは単なるスペックやデザインに留まらない生活様式や価値観の表明だ。

Google-ismやFacebook-ismもそうだろう。あらゆる事象を検索可能にすること。あるいは、あらゆる人間関係をコネクトすること。それらは単なる機能の提供を越えた生活態度への影響を意味している。

 

だからこそ「世界を変える」製品は多くの利用者を引きつけ、新しい意識や行動様式に訴えかけるマインドシェアをもたらす。

 

人はそのテクノロジーに惹かれるが、それはある段階から(かつての電話や放送、モータリゼーションなどがもたらした様に)それ以前と以降では、明らかに異なる人間像を与えてくれる。

検索可能なウェブは、やがて検索可能な図書や検索可能な地図をイメージ可能にする(それは既に当たり前になっている)。あるいはソーシャルなウェブはさらにはソーシャルな商店やソーシャルな銀行やソーシャルな交通をイメージ可能にする(その一部は既に当然と化している)。

 

そういった時代の変革をもたらすことこそが僕達の仕事の本質だと考えている。

 

10年前の日本をイメージした場合、そこでは誰もがグーグルを使っていて、ソーシャルで繋がっていて、モバイルインターネットを楽しんでいて、クラウドサービスが様々な便益を提供してくれていて、音楽や映像はネットで簡単に手に入れられる物だと思ってしまう。

でも、これらのほとんどは10年前にはようやく始まったばかりか、まだ使い物にならなかったという代物ばかりだ。だから、10年後の自分たちがどういう目で10年前の(現在の)僕たちを見ているだろうか?と考えてみても良いだろう。

 

そのときに僕らが何に変革をもたらせているだろう?その想像力は、きっと誰もが持ち合せている。そして、それは"テクノロジー"より"ライフスタイル"の問題なのだ。

 

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