Googleが無い時代にはもう戻れないのと同じでYouTubeが無い時代に戻れそうな気がしません。
既に歴史上の物語ですが、YouTubeが生まれる前はアプリケーションをインストールして特殊フォーマットの動画を再生していました。動画のサーチも大変ですし動画ファイルをいちいち読み込む面倒さももの凄くありました。
今誰もが使っているコピーペースト、これが普及したのは初代Macintosh以降。クリップボードが受け入れられてからです。
僕は最初にクリップボードを介したCopy&Pasteの概念がよく分からなかったのですけど、アプリケーションを越えて画像を簡単に切り貼り出来た瞬間の震撼は忘れられそうも有りません。つまり、当時は、ファイルを介する以外の簡単な記憶のシェアリングがとても困難だったのです。
Wi-Fiが普及するまではイーサネットのコネクタにケーブルを刺してネットワークしていました。
そもそもそれ以前はネットワークとは、つまりダイヤルアップのパソコン通信でした。固有のホストに会員がそれぞれログインするのが前提。異なる通信サービス相互のメール送信(Mail Gateway)でさえ当時は一般的じゃなかったのです。今となっては、もはやクローズドの通信サービスの存在さえ想像しづらいかも知れません。
あるいは、かつてのスカリー時代のMacintoshだとWorldLanguageKitで多言語化していました。今はもう全く考えられないですし、iOS/Android共に多言語化は当たり前の前提になっています。つまり、極端な事を言うと、今やその国固有のコンピュータという概念がもはや既に想像しづらいということです(かつては「国民機」なんて呼ばれるPCの存在が有りました)。
今目の前にある当たり前が少し前までは全然当たり前じゃなかった。
そのことを僕らは実に忘れがちです。Google、YouTube、Copy&Paste、Wi-Fi、Multi Lingal、Touch Interface、iTunes、SocialWeb、Twitter、Cloud File Sharimgなどど数えても切りが有りません。これにやがてLocation Ceck-In、Instagram、Flipboard、Siriなどが入って来るでしょうね。そして、同時に多くの旧態以前が時代の舞台から消え去って行きます(ガラケーの寿命は残り二年くらいでしょうか?)
ですから、起業家は目の前の現実からその先の未来像を常に意識する必要があります。目の前の現実は脆弱で常に変化を遂げているのです。
その変化をさらに促進し、その変化の先を創造する行為に参画できなければなりません。それには目の前の前提が変わると言う変数と、その変数に自らと自らのコンペティターが加わると言う両側面が有ります。
ですから、常に感じるのはその起業家の持つフロンティア精神だけでなく、それがそれぞれのチームにも固有のものとしてしっかり根ざすべき事。そして、それらのフロンティア精神が個々のチームの(製品を通じた)発露を越えて、それぞれのスタートアップシーンでますます新しい緊張関係(競争)を生み出すべき事です(シリコンバレーに負けるな!です)。
TechCrunch Tokyoでも選ばれたスタートアップの優れたプレゼンテーションを多数見られました。が、それらが実は単なる競合関係であるだけではなく、それら同士の激しい高め合い/競争的関係を通じた、ある種の協力者(Friend & Enemy)でもあることを強く感じるのです。
遠慮せずお互いが闘いを挑むことこそが、その市場のイノベーションを促進し、新しいグローバルプレイヤーの登場を促します。その際には目の前の現実を越えたその先の未来を自ら透視する必要があるのです。