何かがコツンと、乾いた地面にスコップが当たるような、そういう感触がもしも得られればしめたものだ。
それは自分の中の地層のどこかにヒットしたと言うことだから、恐らく、誰でもない、自分だけしかやらないだろう、何か大切なモノに辿り着けている。
でも、そういうモノはありがちな考え方や類型には全く合わないので、現実にカタチにする手前で、先ずアイデアを正確に認識し、深く理解するのがことが必要だろう。
そして何かそういったモノをうまく探り当てたとしても、正しく表現し、納得いく状態に引き上げるのはまったく容易なことではない。
微妙な違和感や食い違いを敏感に感じ取って、しっかり腑に落ちるところまで噛む砕くべきだ。そのうえで、最終的にどういう状態まで持っていくのかを自問自答して丁寧に仕上げていくことが、どうしても欠かせない。
こういった(内部から掘り起こすような)仕事の場合には、必ずそういう繊細さが必要だと思う。とはいえ、そういった自分しかやらないだろう特異で規格外なモノ以外は、本来、余り価値が無いだろう。
もし、誰もがいずれは合理的に気づき、簡単に試みることができるような規範内に収まる製品であれば、それらは結局、物量勝負や速度勝負に陥ってしまう。それでは戦略的に成功を期し難い。しかも、それは人生を賭けるに足る大きな仕事にはなり得ない。
自分しかできない特異な仕事は成功した時の大きさも満足も桁違いだろう。一方、全く誰も思いつかなかったようなことを、孤独や無理解に耐えながら、それでも物にしたいと抗う精神はどこからやって来るのだろう?あるいは、何を原動力にし、何を糧に働き続けられるものなのだろう?
かつてThink Differentキャンペーン(Apple復活の際に非常に影響力のあった、とても優れたコマーシャルキャンペーン)に関しての取材に答えているスティーブ・ジョブズの言葉がとても示唆的だ。本質的な価値を持つ仕事に関しての、とても深い洞察だと感じた。
大人になると、この世界とはこういうもので、自分の人生も、その中にある人生を生きることだ、と言い聞かされることになりがちだ。壁を叩くようなことはしすぎるな。良い家庭をもって、楽しみ、少しばかりの金を貯めよう。
そういうのは、とても制約された人生だ。たったひとつ、単純な事実に気づけば、人生は可能性がずっと開けたものとなる。それは自分を取り囲んでいるすべてのもの、人生と呼んでいるものが、自分より賢いわけではない人々が作り出しているということだ。
周りの状況は自分で変えられるし、自分が周りに影響を与えることもできるし、自分のものを自分で作ることも、他の人々にもそれを使ってもらうこともできるのだ。人生だと思っていたことも、突いてみることができ、自分が何かを押し込むことで、反対側で何かが突き出たりするのだと悟り、人生は変えることができると理解すれば自分で人生を造形していくことができる。
それこそが、おそらく何よりも大切なことなのだ。それこそが、人生はそこにあり、自分はその中で生きるしかないという誤った考えを揺さぶって振り払い、人生を抱きしめ、変化させ、改善し、自分自身の痕跡を刻み込むということなのだ。
私はこれはとても大切なことだと思うし、どのようにそれを学んだかに関わらず、それを学んだ者は、このいろいろな意味で厄介なことがらを抱え込んだこの人生を変化させて、より良いものにしようと望むことになるのだと思っている。一度このことを学べば、それまでのままではいられないのだ。
私たちは自分の存在を及ぶ限りの広さで受け取らなければなりません。すべてのことが前代未聞のことでさえも、その中にあり得るのです。.....これは詩人のリルケが残した言葉だけど(最近とても惹かれる言葉です)そのような自己の捉え方は考えようによってはとても怖いことだ。
できれば安心安全に、現在の生活の延長にすべてを収めたいものだし、無限大の可能性はむしろ人を不安に陥れる。ところが、何事も為せることができるという雄大な視野に立った時、人はそれから目を背けられないし、その先にある景色を見たくなるものだと思う。
Appleの「Think Different」が20年近くの時間を経ても色褪せないのは、そもそもそういった人の抱えた根源的な希望や、遠大な理想を、映像的なリアリティを持って力強く描き出してくれたからかも知れない。誰も考えなかったようなことを敢えてやろうとする人への勇気を喚起してくれるのは、改めて素晴らしいことだと感じる。
Apple Confidential - Steve Jobs on "Think Different" - Internal Meeting Sept. 23, 1997 - YouTube