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以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

2014.03.11 SXSWでその日を振り返りながらつらつら考えたこと。

珍しく自分史について少し語りますね。3.11の日のSXSW(オースティン)は、個人的に特別の思いがあるのです。そう、僕が初めて訪れたSXSWは2011年の3.11でした。そう、ちょうど震災の発生時点だったのです。ですので、どうしても自分の死生観と不可避に繋がっているのです。どうしても自分の感じる人の生き死にと分けては考えられない日です。

さて、ウチのお祖母ちゃんは百歳近くまで長生きしての大往生だったのですけど、いつもの口癖が「生きるのは苦しみの連続だ。日々苦の路を歩くのだから、やがて往生する時が今から待ち遠しい」といったものだったのでした。

いつも聞く度に違和感しか無かったのですけど、今は何となくだけどリアルに感じ取ることが出来ます。

そもそも苦と楽は隣り合わせで、人はいつでも死に向かって真っ直ぐ進んでいく他ないです。何とか、もっとよく生きたい!と強く願えば願うほど、むしろ苦痛は避けられない。でも、いつかは何もかもが零に昇華される日が来ます。どう転んでも時間は逆戻りできないのですし、あらゆる苦闘や困難と抗うことによる疼痛からは遅かれ早かれ解放される時が来ます。

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僕は未だに死んで行く方が有り難い死生観にはたどり着けないのですけど、本当に誠心誠意生きていくことの苦痛を受け入れることは、今なら何とか出来そうな気がします。抗って生きていくことの楽しみを見いだせる気がしています。

どうしても自分が死ぬのは怖いですし受け入れがたいのですが、親しい人が亡くなるのは、同じく本当に怖いことです。時には本当に受け入れ難いことだと思います。

それはなかなか簡単に始末出来ない感情だと思うのですが、つらつら考えて見るに祖母の言葉はその受け入れ難さを幾らか緩和してくれていたような気がします。

最初から死ぬことが怖くないし、ある意味楽しみですらあるようなことをしょっちゅう述べていましたから。死への準備が怠りなかったと言いますか。

それこそお盆やお正月に会う度、「これがもう最後かなあ」と言っていたことが懐かしく、今でも田舎に帰郷すると同じことを言われるような心持ちがしています。そんなことを3.11の日に想い返しました。

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「いよいよ、今回が最後かなあ、、」ってずっと毎年呟いていた、祖母の言葉の繰り返しが、今もまだ続いている感じです。TechCrunch50(@サンフランシスコ)でのプレゼンの一ヶ月後に往生したお祖母ちゃんのことは本当に今でもよく思い出します。

人が生き、やがて死んでいく、その間の刹那にいったい何が出来るんだろうか?という問い掛けは、そのお祖母ちゃんの人生訓を物語る「人生は苦なり」の言葉と紐付いている気がします。

生きていることはそのまま有り難いことですが、近しい人の死を思うときにその想いは一層募ります。だからこそ、限られた日を大切に生きたいものですね。「苦有れば楽あり」とは、良く言ったものです。私達は「苦痛を感じられるのだ」と、可能態で考えることによって、なんだか少し気が楽になります。

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