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以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

"テレパシーはなぜテレパシー・ワンを開発するのか?"の個人的な原点

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TEDx Kyoto 2013 で幸いにも「 Ideas Worth Spreading 」の概念に触れることが出来たので、そこでの貴重な体験を通じて振り返ることの出来た、自分自身のバックグラウンド(思想)について、改めて書き記してみたいと思います。
 
あらためて強く感じたことですが、自分の「コネクト、コミュニケート、シェア」に関わる強い想いです。これはなんだか生得的というか先天的というか、自分が想った以上によりずっと根強いものが有るのだなと想ったのでした。
あとは、なにかすごく純粋さと言うか、馬鹿馬鹿しいほどにストレートに、ダイレクトに、生身の、本質の、内奥の言葉を伝えたい!という気持ちがものすごく強いのだなあと思いました(そういう衝動を止められない)。
そして、以上の二点を総合した場合、人が純粋な精神をさらけ出し、お互いが分け隔てなく、それを共有しあう世界と言うものを、しかもかなり深い部分で期待し、その実現に少しでも貢献したいという欲求をずっと持っているのだということを痛感しました。そこでは、恐らくテクノロジー、ファイナンス、ビジネスモデル、起業家精神、開発者としてのマインドなど様々な構成要素は、ある意味上の衝動的欲求に基づいた「道具」であったり、テコ入れの「方法論」なんだなと思うのです。それらは手段であって目的ではないのです。
 
さて、今直面しているウェアラブルデバイスですが、これが成立するためには二つの大きな課題があると考えています。
まずひとつめはモーニング・プロブレム。それを朝装着して出掛けられるかどうか?です。そしてもうひとつはイブニングプロブレム。夜ちゃんと継続的に充電されるかどうか?です。
朝起きて、無意識に装着するレベルでないと持続的な製品にはなれない。そして、夜にはいくつかの限られた充電対象になれないと、同じく持続的利用は期待が出来ません。いずれにしろ、"ウェアラブルになった"という段階で止まっていては最終製品として成立できないのです。それが日々夜に充電をされ、そして朝にウェアーされる習慣的な利用に至らない限り製品生命はない。ウェアラブルデバイスの至上命題とも言えます。これは簡単には乗り越えられるものでは有りませんが、一方でとてつもなくやりがいのある命題です。
 
さて、ここで再度、そもそも「自分のアイデアをデバイスにする」ということはどういうことなのか?を考えたいと思います。それを考えることで日々使うべき道具としてのウェアラブルデバイスの存在価値を掘り下げてみたいのです。
ウェアラブルデバイスを「自分のアイデアをデバイスにする」という視点から捉え直してみると、それは自分にとっては「コミュニケーションの新しいスタイルを世に問う」ことと同義だとも言えます。更にいうと、テレパシーの場合は、ある意味、従来の電話の再生というか、次の新しいスタイルを志しています。たとえば「言葉に映像が伴う」、それよって経験や感情を共有することのできるシェアリング・コミュニケーション・デバイスです。
 
グラスは情報処理の道具としては一定の完成度に至っていますし、ウェアすることのできるコンピュータとして、そのデザインは一定のレベルにまで到達をしている。その開発は凄く筋の通った、極めて効率的なプロセスを経ていると容易に想像できるのです。
ですが、そもそもウェアするコンピュータが情報処理デバイスとしてスマートフォン以上に成功するのだろうか?僕は個人的には、コミュニケーション・デバイスとして受け入れられる可能性の方がより高いのではないか?と思っています。
出来れば、人のコミュニケーションの変容を促す様なデバイスこそが望ましい。なぜなら、それこそが今迄コンピュータが長らくやり続けてきたことだったのだから。コミュニケーションの発展発達こそがパーソナル・コンピュータの目指すべき大きな頂だったと想うのです。
 
ただ、ウェアラブルデバイスがコミュニケーションデバイスとして成熟するには、よりその目的に合致した、洗練されたデザインと非常に優れたアプリケーション。および極めて最適化された操作性の実装が含まれている必要があります。
大きなパラダイムとしては、現状有るスマートフォンよりずっと簡潔であること、よりストレスの少ないものでなければならないでしょう。例えば、昨今話題のスマートウォッチ以上にシンプルで、操作する上での快適性が高い製品に仕上がらなくてはならないと考えます。
ウェアラブル市場は、アイデアやコンセプトが良いのはもはや当然であって、それをいかにして最終製品として結実するのか?そして、それをいかにして最終ユーザーに向けて届けられるか?と胃うステージに到達しているのだと思います。
それはきっと一部のギークだけに向けたガジェットの域を超えるでしょう。そして、最近アップルがティファニーの元CEOをハイアリングしている様にもっと「心の満足」に訴えかける様なコンシューマー・ブランドを構築する必要があるでしょう。
 
ウェブやアプリのコミュニケーションはその進化の過程で、どんどん言語の領域を超えつつ有るのが現状です。そもそもフィーリングやセンス、ムードやシチュエーションをお互いが親しい同士で交換して共有するコミュニケーション、これがウェアラブルの利用感覚(身体を拡張するデバイスとしての親密さ)に凄くマッチいると思います。
LINEやFaceTimeの様なリアルタイムなコミュニケーションツールの世界観は、ウェアされたコンピュータだからこそ、より親密に豊かに味わえるでしょう。昨今のアップルのCMは、そのままウェアラブルデバイスのCMとして素晴らしい表現を行っているようにも見えます。
ただ、一方、それをパブリックに開放し、オープンにシェアするのは意外と一般的な利用者にとってはハードルが高いかも知れない。人が感情をオープンにやりとりするには、まだまだ世界はそれほどには寛容ではないかもしれません。SnapChatやLINEがあそこまでコミュニケーションの密度や速度を得ているのは親しい物同士に交信を限っているからです。
 
そういった意味では、アイデア次第で人のライフスタイルや社会的インタラクションを書き換えられる、非常に大きな潜在的可能性がウェアラブルデバイスにはあると思います。
だからこそウェアラブルは面白い。人の体験性を書き換えることでコミュニケーションのスタイルを大幅に進化させられる可能性があると思います。そのためには、例えばスマートフォンのアプリを開発する視点より、もっと柔軟で動的な考え方が求められるでしょう。
現実世界でデジタルコンピュータをウェアできる事でいかに人と人の「コネクト、コミュニケート、シェア」が変化させられるのか?「アイデアをデバイスにする」とは、まさにそういうこと突き詰めることではないか?と思います。
 
(2013年に投稿したブログ記事二件を再編集して新たに投稿しました)