以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

お金の再発明は必然だ。それと同じく多くの再発明が求められていることも明らかだ。

今年、サンフランシスコ滞在中に現金をいくら使っただろうか?

覚えている限りでも、回数、金額、共に本当に僅かだと思う。約半年の間、トータル十数万円を十数回程度の支払い回数で使った...。きっとその位ではないだろうか?
現金にここまで触れないのは、東京ではちょっと考えられない。でも、ここなら財布の中に現金が無くても余り困ることが無いだろう。現金の支払いの機会は避けようと思えば、かなりの確率で避けられる。

或いは現金で支払う場面は、何というか単に「不便」というだけでなく、ちょっと恥ずかしい。何だか、時代錯誤を強いられているような恥ずかしさがある。
または、現金で支払おうとしても、受け付けてもらえない場合も少なからず有る。現金を支払おうとして露骨に嫌な顔をされたり、現金のやりとりで済まそうとすることが、むしろその支払先に不審感を抱かせることすらある。

現金は明らかに衰退しているし、現金の代替物の登場は歴史の必然のように見える。

アトムがビットになるという、非常に大きな歴史的必然は「現金」、この場合は物理的な「紙幣」を明らかに殺しつつある。
そして、それは紙=紙幣がプラスティック=カードに変わるという分かりやすい変化というよりは、そもそも経済的価値の交換をどう解決するのか?のメカニズムが大いに組み変わっていることの現れではないか?と感じる。
 
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だいたい紙幣というのはかなり汚いし、どんどん劣化してしまうものだ。持ち運びも楽じゃないし、とても無くしやすい。
数えるのも面倒だから、その移動と変化を定量的に取り扱うのは決して簡単ではない。汚い、壊れる、持ち運びづらい、無くしやすい、数えづらい、使いづらい現金は、いずれ遠からずユーザーの人気が失ってしまう運命だったのかも知れない。
 
こんなに不便なものを高い手数料を支払ってATMから引き出したり、あるいは預けたり、送金したりしていたことが「我々は、なんて愚かなことをしていたのだろう?」と回顧される日もそんなに先のことではないのかもしれない。
でも、じゃあ、経済価値の交換はどう解決されているのか?というと、例えばチェックを切るというのはここでは避けて通れない。

家賃の支払いをしにアパートの管理オフィスに行った際に「現金は不可」と言われてパーソナルチェックを切ったら、それも「ダメ!」だと言われた。そこで仕方なく、預金残高確認済みのチェックを銀行窓口で出してもらって(サーティファイドチェック)それで支払いを済ました。
 
この場合重要なのは「個人の信用、支払い能力」なので、いくら現金を見せても仕方がない。

チェックは手数料もかかるし、作成も郵送も手間だし、決して良いメカニズムだとは思えないのだけど、クレジットカードにしても結局はクレジット=信用(支払い能力)を元に成立しているのだから、そこは現金主義とは大きく異る。
お互いの信用をやりとりするのが基本コンセプトなのだから。そういえば、弁護士費用もチェックで支払った(この場合はカウンターズチェックで払い出した)。現金支払いが敬遠されるのは一面的には「汚くて使い勝手が悪い」ことがその理由でも有り、一方では「それが何らその個人の信用を担保しない一過性の物」だからという側面もあるだろう。

現金支払いがかっこわるく見える。或いは少し恥ずかしいような気分にさせられるのは、そんな不便なものをいまだに使っている... という点と、そもそも(現金に依存している点で)信用が無いように見えてしまうという点と、それぞれ有るような気がする。
 

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 でも、その一方で、その先(ポスト現金の世界と言うべきか?)に何があるのか?と考えると、余りに多くのオポチュニティが存在していることに気づく。

そして、その可能性に対して、もっと開かれるべきではないかという思いに強く囚われる。
経済価値の交換がお互いの信用のやりとりだとした場合、現状の銀行口座やクレジットカード等のメカニズムはそれに対して十分な機能と役割を果たしていないように思う。インターネットがかつてはブラックボックスであった多種多様な潜在情報を顕在化し、公開共有可能にしたことと同じ事が「マネー」に於いても起こるべきだろう。

個人の信用をどう可視化し、いかにそれを共有(運用)するのか?の問題が、よりよく解決される必要があるのではないか?

銀行口座もクレジットカードも含め個人の信用はもっと可視化できるだろうし、現状はそれが分散したままとても扱いづらいままである事には、非常に大きな弊害があるだろう。
例えば(僕の場合の)家賃や弁護士への支払いをする際にチェックを振り出す行為にはとても手間が掛かっている。
でも、それは既に可視化共有可能な状態に有る筈の情報だ。だから、それらがもっと速やかにシェアできれば、多くの社会的な取引が円滑化し効率化するだろうことが容易に想像できる。

そして、その交換コストが余りに掛かり過ぎることも問題だ。
 
チェックの手数料はバカにならないし、クレジットカードもそうだ。ATMは言うに及ばず、本来は個人の信用情報(支払い能力情報)の交換に過ぎないトランザクションなのに、一回一回のコストが非常に高い。
この交換コストを低減し,限りなくゼロに近づけることが出来るのもインターネットの力だ。そのイノベーションが引き起こす変化は極めて大きい。
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 今シリコンバレーで起こっている多くのイノベーションが上記の問題意識に大きく絡んでいることは決して偶然ではない(ビットコインがその最も顕著な例だろう)。
現金以外にも多くの物が明らかに滅びつつあるので、その滅びに対していかなる社会的進化を遂げるのか?は、時代的な要請なのだ。

滅びる物があるからこそ生まれて来るものが有る。旧時代は新時代によって塗り替えられる。その必要が明らかに有るのなら、新しいことを誰がやろうが、何をやろうが、それは早晩やってくる物のひとつに過ぎない。

 

「死は最高のチェンジ・エージェント」という言葉があるように、死に行くものと生まれ出ずるものは表裏一体だ。

例えば市内、マーケットストリートなど歩いていると「商店」というものの滅びは明確だ。はたまた、「タクシー」が消滅しかかっていることなども、ここにいるとよく分かる。
 
変化の兆候に触れたければ、Uberのドライバーと話をすると良いと思う。
 
彼は倒産した紳士服屋の経営者だったと語ってくれるかも知れない。それは明らかにアマゾンの影響による著しい売上ダウンの結果だったと教えてくれるかもしれない。
はたまた、そのドライバーはもともとリムジン会社の経営者だったと告げるかもしれない。
でも、Uberが直ぐ快適な車と運転手を提供してくれることに驚いて、いまやUberの支持者でありメンバーであることに誇りさえ持っていると語ってくれるかもしれない。そういうケースは枚挙にいとまがない。
 

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 例えば Insta Cart(お買い物サービス)やAirBnB(個人ベースの宿泊サービス)などを使うと、そういうエピソードがふんだんに聞ける。
そして、そういった際の圧倒的な支持(明らかに彼らは熱狂している!)は、社会的なメカニズムの組み換えが、結局 InternetとPeople's Power の結び付きにより非常にオーガニックに発生していることを雄弁に物語っていると思う。

話は前後するけど、BitCoinへの情熱的とも言えるサポートを表明しているマーク・アンドリーセンの慧眼は本質的に正しいと思う。
或いはKickstarter(クラウドファンディング)の試みも、同じく本質的な価値の組み換えに向かっていると思う(経済価値の交換をスムースに進める上で、彼らの提供するプラットフォームは極めて正常な進化をしていると思える)。
 
お金の再発明は必然だ。それと同じく多くの再発明が求められていることも明らかだ。
 
仮想通貨やクラウドファンディングは、インターネットの進化の先端ケースというだけでなく、社会的な交換行為。つまり、経済価値の交換をいかに可視化し、共有可能にし、スムースにトランザクションするのか?への回答の一端だと思う。

そして、それはサンフランシスコでの生活を通じて、非常にリアルに感じ取れる「旧時代の遺物が滅びつつあること」と、とても密接に対応しているように見える。
一方、東京は余りに便利で、多くの旧時代のメカニズムが未だに快適に機能している(そして、それは全然悪いことじゃない)。
 
現金もタクシーも、商店(リテール)も顧客サービスも、いずれも機能不全を起こしてはいない(様に見える)。逆説的だけど、それらが機能不全を起こし、数限りない不便や不快をもたらしている(つまりメカニカルに死にかけている)サンフランシスコは、破壊的イノベーションの極めて起こり易いインキュベーションの場になっていると感じる。

つまり、極めてプアな状況が極めて豊かなチャレンジをもたらしている。
 
先日、日本から、とある議員さん(極めて聡明で優秀な方と思いました)に表敬訪問して頂いた際に、ここでのイノベーションがどの様に起こっているのか?そして、そこからどういう経済圏が生まれているのか?の説明を試みて見事に挫折をした。

皮肉にも「社会的資本の不備」と、その問題解決時に於ける「膨大なリスクマネーの供給」とが、余りに見事に合致しているという現況。これはどうにも日本では再現しづらいと思う。
社会的行き詰まりが本質的なイノベーションのゆりかごになるとしても、それは意識的に創出できるものではない。しかも既存の産業基盤が有効に機能している限り破壊的なイノベーションを導入するインセンティブは極めて少ない。

社会的機能不全に対して起業家的な創造性が働く機会は、ここでは余りに多く、そういう意味では極めて「豊か」だ。東京は、本当に豊かで余りに恵まれている。故に、破壊的なイノベーションを引き起こす環境としては「プア」にならざるを得ないように見える。
 

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Uberは単なるタクシーの代替じゃないし、AirBnBは単なるホテルの代替じゃない。

Uberのもたらす共有経済の底力を思い知ったのは、本当に偶然の出来事がキッカケだった。

最初は普通のアジア系移民のドライバーだと思っていたのだけど、その人は実は発話障害者だったのだ。彼のジェスチャーでようやく理解したのだけど、機敏な動作や対応のスムースさで最初は全く分からなかった。

そして無事自宅まで送り届けてもらって降車して....という最後の最後まで、彼は完璧だった。つまり発話に問題があるハンディを跳ね返してさらにお釣りが来るレベルで彼のサービスは素晴らしかった。

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カリフォルニア州のタクシーライセンスはよく分からないのだけど、移民で発話障害があるのはかなりハンディになるのではないだろうか?

でも、考えてみれば Uberのドライバー品質管理は凄く厳しいのだから(レーティングが下がるとドライバーの資格を失う)、免許制度のレギュレーションは別にして、彼はそのハードな(Uberのメカニカルな)フィルタリングを超える能力を発揮しているからこそ、ここでドライバーをやっているのだ。

そして、それはUberが持つ潜在的可能性の一部を物語っているように思える。

それはつまり形式的な制限ではなく、市場の評価・裁定に対応することで人の働き方は大いに変わる可能性があると言うことではないだろうか?

 

コミュニケーションがご褒美!

ちなみにUberのドライバーと話をするのは実に楽しい。

・最初からお互いのファーストネームを知っているので、気軽に呼びかけられる。

・お互いサービスを気に入ったファン同士であることが多いので、友好的である。

・そもそも双方向のレーティングのメカニズムなので、お互いが協力関係にある。

などがベーシックにあるとは思うのだけども、多くのUberドライバーがはっきりと「コミュニケーション」をこの仕事の楽しみだと言う。

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先ずはお互い外国人であることが多いので(いや、外国人というのは言い過ぎか?移住した第一世代であることが多いというべき)、各国自慢とかカリフォルニアあるある話で盛り上がる(面白いことにトーキョーはSFよりもずっと物価が高いと思われている)。

そういえばエチオピアから来たオバサンとはアベベ偉人伝で盛り上がった。ロシアの美人さんとはモスクワで行われている日本文化理解のためのクラスの話で盛り上がった。

 

WhatsAppのインドでの熱狂的利用シーンをUberで知る。

多くは移民あるいは移住後しばらく経った同士なので、お互いの苦労談とか抱負とか夢とか語り合うとキリがない。しかもIT StartUpで働いているインターンの人とか....。特にサウスベイ周辺だと同じ業界人も凄く多いので「これからどういうビジネスが爆発するのか?」なんて話を始めると、いつまで経っても終わらない。

興味深いのは、例えば”WhatsAppがインドでいかに広く深く使われているのか?”なんていう話をインド人のドライバーから聞けるなど、世界中のIT流行に耳を澄ますことにも繋がる様な場合だ。

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いずれにしろ、「すぐ来る」「快適」「支払い不要」などの第一義的なサービス価値が仮に染み透ったとしても、このコミュニケーションの楽しさは隠れたUberの良さだと思う。

考えてみて欲しいのだけど、いきなりサンフランシスコで乗り合わせた車の運転者と乗客とがお互い信頼しあっていて、ファーストネームで呼び合える関係をいきなり築けるというのは、なかなか凄いことではないだろうか?

 

人と人がコネクトしていることが前提

IoTという言葉が今後ますます浸透していくと思うのだけど、我々はスマートフォンを通じてそもそもつながった状態でコンタクトする。いきなりお互いを知らないのに。そして、即座に闊達なコミュニケーションが生まれている。お互いのことを全然知らないのに...。

言うなれば新しいサービスのネットワークだ。移動手段を提供し、それを享受できるという関係性を一気に構築できることの潜在価値は実に大きい。

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そして、その素晴らしさは AirBnB でよりディープに感じられる。

それは自分の部屋に見ず知らずの他人を泊めるというサービスコンセプトなのだから、当然といえば当然だろう。

自宅という最もプライベートな空間に他人を招き入れる。招く側も招かれる側も相当リスキーだし、それで商用サービスが成立するのか?恐らく、その当初は誰もが疑心暗鬼だったろう(ユニオン・スクエア・ベンチャーズのFred Wilsonですら投資機会を判断できずに後悔している位なのだから)。

でも、経験的にはAirBnBは素晴らしい。もはやホテルに泊まる気になれないどころか「宿泊する」という概念さえ書き換えたのではないか?

 

AirBnBは単なるホテル代替ではない。

例えば、NYCで深夜泊めてもらった女性はネルソン・マンデラを支援するアクティビストだった。彼女とはウェアラブルデバイスをセレブ経由でいかに流行らせるか!?を熱く語り合った。 

また、別の機会に泊めてもらったのは(同じくブルックリン地区)三島由紀夫研究家で、シングルマザーで幸せなゲイカップルの家庭を育んでいる女性だった。三島のどの作品が最も印象的か?心ゆくまで語り合えたのは得難い体験だった。

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そして、そういう心が通い合う体験をした後には、もうプロフェッショナルな宿泊サービス(ホテルですね)に物足りなくなる。

好きな場所で生活している興味深い人たちとの心の通い合いを体験してしまうと、単に決まりきったサービスと(ある意味それが良い所なのだけど)決まりきったホテル的宿泊空間にワクワクしない自分がいる。

 

旅行者ではない生活者の態度が得られる楽しみ

そもそもAirBnBで滞在するというのは、ある種そこに”生きる”ということでもある。そこに生きる人の場に自分も居させてもらう。それは仮住まいとはいえ、旅行者の態度とは大いに異なる視点・視野をもたらしてくれる。

僕は大学時代京都だったのだけど、AirBnBで京都宿泊したときに心底驚いた。

そこで泊めてもらった期間は明らかに僕の大学時代と違うだけでなく、数多く止まった旅行中の体験とも異なったからだ。それはなぜかというと泊めてもらったのがあるアーティストの自宅だったからで、彼の生活態度や趣味趣向にシンクロする醍醐味がそこにあったのだ。

そう、そして彼はアメリカ人で、その町家でカフェをやりながら日本人に英語を教えている。

古都京都でも彼のようなストレンジャーが視る京都は全く違う面白みを感じさせてくれる。ある意味Uberで毎日毎日違う国から来た移民とコミュニケーションするのと同じような刺激が有った。

恐らくコミュニケーションの面白さに於いては「違い」の存在がとても大きいのだろう、同じことを同じ様に伝え合うだけでは無い、「異なる価値観や視点・視野」への気付きこそが面白いのだろう。

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UberとAirBnBに共通して存在するのは、そういう体験価値だ。そういう良さは気づかないうちに中毒的な利用を促進する側面があるのだと思う。