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以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

雑感

シリコンバレーは世界の起業プラットフォームなのだから、ひたすら使い倒せば良い。

日本対シリコンバレーの対立図式にする必要はないと思います。逆に言うとその図式で考えている限り、日本中心の視点からはなかなか離れられない。そして、シリコンバレー的思考で世界を変革するような仕事には、むしろ妨げでしか無い。

 

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ダークサイド・オブ・ザ・ムーン サンフランシスコの光と影

サンフランシスコ生活を再開してしばらく。

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よく「なんでサンフランシスコなの?」と聴かれるのですけど、正直それはサンフランシスコが大好きだからと云うことだと思います。

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けど、誰がどう考えても都市の「安全」「快適」「衛生」「安定」「消費性」「娯楽」など総合的に見て、東京の方がずっとベターな筈なのに、なぜなのここなのか?と、疑問に思われます。

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でも自分が大好きなのは、この空間や気分も含めて住みづらさ、不快さ、大変さ、言葉の通じ無さ、習慣の違い、ビザ取得や医療保険などの難しさ等々含めて!と言うと変な言い方なのですが、そういう諸々のチャレンジそのものが楽しい。

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考えようによっては、マグロ漁に出る遠洋漁業の漁師さんの様な感覚なのかも?などと思ってみたりします。

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マグロ漁どころか漁師さんの生活感覚などまったく判らないのですけど、個人的になぜサンフランシスコなのだろう?と思った時感じた、最初のイメージは、実は「ここが危険で大変だから!」でした。

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SoMAの割と難しいエリアに住んでいるからこそ感じる感覚ですから、もっとのどかで快適安全安定な場所もSFには沢山あるので、僕だけの特殊な感じ方かもしれません。

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でも、どうしてサンフランシスコなの?と聴かれる時の前提として、「より快適で」「より先端で」「より未来的で」「より便利で」「より文化的な都市」などプラス価値が予め想定されているような気がします。

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でも、一方の東京は素晴らしく先端的で、未来的な都市の特徴をふんだんに備え、便利で快適な所です。その都市文化はとても豊かですから、簡単に、そうですね!サンフランシスコの方が未来ですね!先端文化が味わえますよ!と、気軽に言うことはできません。

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実際、僕の住んでいる7thミッションの界隈はホームレスも多いし、ジャンキーも見かけるし、ときどき言葉にしづらい悪臭もしたり、それに逮捕劇とかもたまに見ます。

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でも、まぁ、それでどうという訳ではなく、そういう現実も含め生活の一部ではないか?と。ここは様々な深刻な矛盾や不幸も受け止めている世界なのだと思います。

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テクノロジーによる革命が行われている最先端の未来都市が、一方では貧富の格差など多くの課題を抱えて苦悩している様子は、なんというかシリコンバレー礼賛なテック系記事からはなかなか伺えません。

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でも、一方でそういった様々な問題が、数多くのイノベーションの契機になっている面も有るのだろうと思います。

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深刻な不幸や矛盾が革命の原点という言い方は決して奇をてらっている訳ではなく、恐らく多くの真実を孕んでいるのでしょう。

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カリフォルニアに来て三年。サンフランシスコはたかだか1年半のビギナーから見てもサンフランシスコの抱える矛盾の大きさは凄まじいと思います。

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Uberに乗ってもAirBnBに泊まっても常々感じますし、日々4thマーケットのオフィスとアパートの間を往復する(自転車で五分)だけでもヒシヒシ感じます。

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で、多くの日本人(起業家を含む)がすぐ日本に帰国してしまうのは非常に残念なのですが、まぁ住みやすいかどうか?肌に合うかどうか?楽しいかどうか?というのは個人差です。本当に簡単じゃないですね。

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だいたい不衛生だったり危険だったりというのが、生活する上で良いはずはないのです(重ねて言いますが、そういう場所ばかりじゃないですよ!)。

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ひとまず、自分はこの巨大な矛盾を孕んだ、凄まじい街に大いに可能性と希望と刺激と未来を感じます。

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なので、敢えて言うと別に快適さや便利さや機能性で選んでいるわけではないですし、そもそも物価も高けれれば、住むための諸々のコスト(言語やビザ等を含む)がとっても高いのは事実です。その上で、とても気に入って住んでいます。

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とにかくサンフランシスコは最高です!決して皮肉やアイロニーではなく、心から大好きなのです。サンフランシスコに来るときは、ぜひその光と影を味わって下さい。

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パーソナルロボット生存の条件を整理して考えてみる。

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パーソナルロボットとして、いったい何が欠かすことのできない生存条件なのだろう?

僕が先ず思うのは「感情の共有」だ。これこそが、パーソナルロボットにとってもっとも必要な機能だと思う。

 

「感情を互いに理解しあい、意味を互いに理解しあう能力。感情面に気を配って、意味をわかちあい、信頼関係を築いてゆく能力。」

これはウィキペディアに出てくるコミュニケーション能力の定義の一部だ。ここでは別に明確に述べてはいないのだけど、そもそも言語的あるいは非言語的にかかわらず、人が人とコミュニケーションするにはお互いがお互いを理解しあおうとする感情的な分かち合いが欠かせない。

だから「感情を理解し合う」や「感情面に気を配る」などの機能は不可欠なのだ。そして、それはしゃべられている言葉の意味合いを感情分析するというレベルでは決して収まらない。

本質的にはその立ち位置、姿勢、身振り手振り、表情や目配せ、口調や抑揚などトータルな感情表現を感じながら、その場その時に瞬間的にプロセスされていくもので、その評価軸の多様性と計算量は凄まじいものだろう。

でも、いずれにしろ、その感情の共有が行われることがまずとても肝心で、それが成されない限りは、いかにジェスチャー表現や視線への配慮、または様々な言語表現の創造や創意工夫が行われても無駄になってしまう。

人と人の間にある種のエンゲージメントが生まれ、人と人がコネクテッドな状態にならないまま、いくら言語表現や身体表現を駆使しても土台無理がある。今のコミュニケーションロボットやソーシャルロボットの悪戦苦闘は、どうもそこにあるのではないか?という気がしてならない。

 

人と人の間に立つことで、それらのロボットは初めてその機能性を十分に発揮できる。

 

が、その人と人の間に立つということの困難性は、なかなか乗り越えられないものだ。

要するにスケジューラー機能とかメール機能とかソーシャル機能とか音楽再生機能とかガイド機能とか検索機能とか、それら様々な機能セットは、それらのロボットたちが人と人の間に立てるようになってようやく意味を持つのだ。

だが、そもそもその間に立てる為には、それらのロボットたちが人達との間において、感情の共有ができるという状態を持たなければならない。

それこそが、目下パーソナルロボットに課せられた最大の課題だと思う。

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designobserver.com

写真はフォトグラファー Vincent Fournier の撮影によるものです。ロボットが日常化した未来を描いた快作だと思います。

 

パーソナルロボットとその生きる社会性

「視点を変えろ!」ベイマックスで窮地に追い込まれた、主人公ヒロが思わず口にした言葉だ。

現在のテクノロジー製品の多くは「ユースケースと必要性」の呪縛に囚われていると思うことが多い。

ユースケースが確実に存在すること、人がそれを使う必要性が明らかであること。これはテクノロジー製品が成功するうえで欠かせない存在意義なのだけど、一方この考え方にあまりこだわり過ぎるとイノベーティブな製品は世に生まれる機会を失ってしまう。

未だ存在しない製品のユースケースと必要性を描き出すことは時として非常に困難だ。結果、ブレークスルーを生み出す前に分かりやすすぎる製品価値の定義に収まってしまうことになる。パーソナルロボット(あるいはコミュニケーションロボット)の場合もそうなのかも知れない。

人がロボットを(物欲以外で)欲する理由をユースケースと必要性から解き明かすことは、時として不可能事に思える。そこに存在しないものを対象にデイリーユースケースを考え、納得行く理由で必要性を明らかにすることは決して簡単ではない。

 

では、ヒロに倣って視点を変えてみよう!

そう、もしそれが存在するとして、そのパーソナルロボットたちはどういう風に世の中に受け入れられて溶け込んでいるのだろうか?

その様子を想像して表現してみよう!それはどう人と打ち解け合うのか?どう人と心を通わすのか?どう社会に入っていき、どのように社会の一部として機能しているのだろうか?その未来像を考えてみよう!

 

一ヶ月ぶりに戻って来たサンフランシスコで試作品を持ちだして、衆目にさらしてみている。

なるほど、ロボットを巡る視線や反応は日本とは大きく異る。それは単純に社会的な振る舞い、環境の違いだろう。

人が何に興味を示し、そしてどう反応するのか?へのブレーキがあまり無い社会では、好奇心をむき出しに人に質問したり、あるいは面白いと思った対象に言及したり話題にしたりすることへの抵抗感が極めて少ない。

というか、ほとんどそこには心理的なバリアが存在しない。パーソナルコンピュータを産んだのはこのまさに社会だけど、もしかしたらパーソナルロボットを生み出すのも同じくここなのかも知れない。

テクノロジーを未来に持ちびく精神というのは、そういう好奇心むき出しでもまったく問題のない社会なのだろう。そういえばグーグル・グラスを着用して市内を歩き回っていたら普通の(いや、ちょっとお金持ち風の)オバちゃんから散々質問攻めにあったなあ!(苦笑)

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パーソナルコンピュータとパーソナルロボットはどう違って、どう同じなのだろう?

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渋谷のロボットスタート社にお伺いして色々お話を伺ってきました。とっても素晴らしい体験でした(ロボットスタートの皆様、ありがとうございました!)。

個人向けロボット(ファミリーロボットやパーソナルロボットを含む。ソーシャルロボットやコミュニケーションロボットなど呼ばれます)がようやく黎明期を迎えたのだ!と、感慨もひとしおでした。数年前では考えられなかった大きな動きをヒシヒシと感じることが出来ました。

 

そこでトピックになったのは、パーソナルコンピュータやWeb黎明期と全く同じことで、やはり開発者の巻き込みと開発環境の整備・普及が大事だ!と、いうお話です。

でも、それは、まぁ、もっともですよね。パソコンもWebも初期は開発者中心の世界でした。実に納得感があります。

なのですが、その一方、凄く気になったこともあります。

それは、「なぜそれを作るのか?」の問い掛けが不十分に感じたということです。例えばパソコンからWeb、そしてスマートフォンに至る長い歴史。それは情報革命の大きな大きな運動体が描いた遠大な歴史でした。

誰もが情報にアクセスできる。誰でも発信することができる。そして、誰もが共有できる。誰もが知の創造と共有に自由にコミットできる。そういう世界観の達成に向かう大きな運動体とそのイメージについては、数多くの開発者達が自然にシェアしていたように思います。

ですが、ロボットはいわゆる情報へのオープンアクセスや自由な共有とは異なるパラダイムに立脚した製品のように感じます。それが何なのか?は、敢えて挙げるとすれば人との関係性やコミュニケーションの領域に強く関わっている商品のように感じます。

ですが、現時点でのコンシューマー向けロボットには、どうもまだそういう大きな価値軸、ある種の哲学や理想像が欠けているように感じます(感じるだけで、実は本当に多くの深い検討が成されていますが)。

 

なぜそれを作り広めるのか?なぜそれを開発するのか?が、今の段階ではまだ良く分からない。もしかしたら存在するのかもしれないのですが、僕にはどうもそれが見えてこない。そのモヤモヤ感がとってもあります。

 

また、現在の個人向けロボットでは主流となった、ヒューマノイドロボットを幾つか触った結果、強く感じた違和感がありました。

無理矢理単純化すると、それらが「人を模倣して模倣しきれていない」感覚です。人が人らしく感じる感覚は、何か「共感」的に醸造される部分が強いと思います。

人は人とコミュニケーションすることで何らかの共感状態を獲得し、その関係性を理解し、納得し、お互いの人間らしさを感じているのではないか?また、たとえそれがたまたま違和感や疎外感だったとしても、それはそれで何らかの共感であり、感情共有状態だとも言えます。

 

つまり、人は人と触れ合うことでその場に固有の感情共有の場を作れる。それがとっても大事なことのように思います。

「大事」というのは、「重要」と言い換えても良いかもしれません。人の持つ人らしさは、ある意味その場作りを通じて創発的に行われているように見えます。何か一方的なシグナルの発信では、それは出来ない。

一方、人型のロボットのうなずき、まばたき、身振り手振り、言い回し、発話、応答などはそれぞれよく練りこまれていますし、相当高度なものへと進化を遂げていることは確実です。

ですが、いまだに全体としてのまとまりがなく、バラバラな寄せ集めのように感じる面も依然あります。なんというか、外側から人を客観的に観察して、要素集合することで模倣をしようとしているように感じる。結果、どうもうそ臭い印象を拭い切れない。

 

刺激反応の系が個対個に閉じない複雑さが社会的生物たる人間の持つ人間らしさです。そこまでの処理系はまだ現状のロボットは獲得できていません。

そして一方、人は主観(=主観的な感覚や印象)で通じ合うので、その主観的な感覚を喚起出来ればよいのではないか?と思うところもあります。今の人型ロボットはそこの主観的な感覚の喚起が十分にはできていないようです。

どうも、そうでない限りは、どうしても表面的な模倣に付き合わされている感じが拭えないような気がします。人の主観的な印象をうまく喚起するために人の人らしさをよく学ぶのはとても素晴らしいと思うのですが、それを機械的に外面だけなぞってしまっても無理があるのでは?と感じます。その表面的特徴を一方的にシグナル発信しても無理がある。

 

これは今後の製品の進化発展でクリアーできそうに思うのですが、改めて、人の認知的なレベルで人間的な暖かみや優しさを感じ得るところまで行けるのか?は、まだまだ大きな未解決テーマなのだな!と思いました。

 

最初に感じた「なぜそれを作るのか?」の課題設定と、対面的なコミュニケーションで感じた違和感「人の持つ、人らしい主観的印象においてはまだまだ人型ロボットの立ち居振る舞いには無理がある」は、もしかしたらそれぞれ別の課題ではなく、それぞれ同じ大きな課題の表裏なのかもしれません。

「なぜそれをやるのか?」と、「それがどうふるまうのか?」は、実は別々なトピックではなく、そもそものロボット製品の実現を支えるビジョンやコンセプトと密接に関わっている根本的な課題なのではないか?そう思ったりもしました。

そんなことを考える機会を得た、とても貴重な一日でした。

 

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で、歴史的にはパーソナルコンピュータもスマートフォンも主観的印象が良い物しか残らなかった。そうすると、結局その体験性がどうなのか?という課題が依然ロボットにも残っているのでしょう。

その点においてはパーソナルコンピュータもパーソナルロボットも同じ課題を抱えている(パーソナルコンピュータの場合はマッキントッシュがそれを解決したと思います)と言えるのかもしれません。その点では、パーソナルロボットも、その利用者の体験性が解決されない限りは世の中に普及することはなさそうです。そこがガジェットで終わるのか?それとも生活の中に溶け込む必需品に成長するのか?の分かれ目のように感じます。

 

物語体験装置としてのテクノロジー商品を考える(メモ)。

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新製品について、とても悩んでいる。
 
今までにないタイプの製品を生み出すときの懸案事項は「その価値をどうコンシューマーに理解してもらうのか?」だけど、そもそも提供価値そのものが新しい場合、をその価値を知らない人にデリバリーするのはまったく簡単なことではない。
 
そこで考えたのは「それが何が出来るのか?」を特にコミットしない製品提供のスタイルだ。
それは、何らその製品の機能や性能などの約束をしないという考え方だ。
 
つまり、何が起こるか全くわかりません!という、価値そのものの提示を購入者の想像力に任せるという価値提示の仕方。または、その想像力を刺激する方法として、それぞれの製品が個々個別に全く異なるものかもしれない、という世界観が提示できる。
 
要するに「いったいそれがどういう存在なのか?そして、なぜそこにいるのか?」という問いかけと謎解きが存在することで、凄く面白いの製品になるのではないか?結果として、その製品を手に入れたユーザー同士が、その謎解きそのものをお互い共有できるようになるだろう。
 
そういう価値観で製品を考えることで、製品自体が(製品を巡る)物語の世界内存在であるかのような臨場感を感じることができる。その製品を通じて、その物語世界に入っていけるようなそんな価値観を通じ製品体験を楽しむという、新しい楽しみ方が提示できるかもしれない。
 
そうすると、その製品をつうじた製品を巡る物語体験そのものが、その製品の価値の中心になる。
 
まるで電脳コイル攻殻機動隊、またはガンダムエヴァのなかに出てくる装置やメカニズム、ロボットなどを、まさに手中にしているような感覚が得られるだろう。
それもギミックではなくその物語世界中の実物を手に入れ、本当にその物語空間内を生きているような体験が、もしも獲得できたとしたらどうだろう?
 
たとえばドラゴンボールに登場する私企業「カプセルコーポレーション」が本当に実在し、ホイポイカプセルを本当に手にするだけでなく(もし出来たら本当に凄いですね!)現実に実在するカプセルコーポレーションカプセルコーポレーションは漫画内の存在ですが)の研究者や経営者たちと何らかのプロジェクトを共に楽しんでいるような感覚。
 
あるいは、ヘルスケアロボットのベイマックスが実在し、主人公のヒロが生きている世界の内で本当に、共に生きているような感覚。もしそういった世界観の提示と享受が出来たとしたらどうだろう?それはきっと素晴らしく刺激的な未来に違いない!そんなことを考えながら、日々製品開発を進めているのです。
 

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と思ったら有名なヒューマノイドロボットのNAOのUNBOXING見ると、既にそういう感覚が発生している気がしました。実にSF的な感覚が満ちていますね!そう、僕達はもう既にSF世界の住人なのです。

https://www.youtube.com/watch?v=qPjVMYWRlGY

 

ロボットに大切なのは沈黙することなのかもしれない。

ここしばらく渋谷のファブカフェ内で接客中のペッパー君と触れ合う機会があったので、いろいろコミュニケーションロボットに関しての知見が吸収出来ました。

また、既に発表済みの(製品発売はまだですが...)JIBO やMUSIO なども続報があり、だいぶんファミリーロボット開発の実情が見えてきました。


まず強く感じたことですが、今あるセンサー群と人工知能の組み合わせでは、ロボットとの自然な会話を継続するのはあまり楽しくない...です。そもそも、人は会話そのものではなく、無会話(沈黙)も含めた全体的な人間的触れ合いを好みます。そもそもSIriのような一問一答方式、質問応答形式の対話には限界があると感じました。それだけでは人間的な対話にならない。

例えば、目配せ、身振り、さりげない身動き、など様々な刺激反射系や感情的な動作を含めた人の振る舞いを人的コミュニケーションのパーツと考えるべきだと思います。

 

そういったなかで、制約された機械的所作によるロボットに対し日常のサポートやコミュニケーションを期待するとすれば相当のストレスや不満足があることがリアルに想定できます。

ですから、コミュニケーションロボットにとっては、そもそも「そこにいる」こと自体の「満足」や「充足、楽しさ、優しさ、暖かい感じ」を表現し、伝えることが大切だと思うのです。
人の挙動は複雑系です。単純な刺激反射だけではすぐに飽きてしまいます。そこがロボットと、主にスクリーンとタッチやマウスという制約されたインターフェースに人との接触面が限られているパソコンやタブレットスマートフォンとの違いだと思います。


恐らく、ロボットと人との長期継続的な関係性の構築が欠かせないのです。

日常的な何気ない繰り返しの中にこそコミュニケーション・ロボットは入っていくべきでしょう。それには単発的なサプライズ、特殊効果だけでは足りず、もっと静けさや深さまで含めた、豊かな刺激反射の開発と発展が要るのだろうと感じます。そしてそれはとてもさりげないものです。さりげないものの抽出と一般化と実装は簡単ではありません。


ベイビーの開発においてはベイビー開発者コミュニティ含めたロボットとの共存共栄、社会的存在としての位置づけや取り扱い、全体的な開発環境としての盛り上がり、またはそれが人と共にいることの楽しみを共有できる世界観構築と提案が大きな波及効果をもたらすと考えています。そして、そのコアには本当にさり気ない日常的な人間的所作が含まれると思います。Baby SDK2の開発、鋭意継続中です。

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