What i want to do
社会の中での個人。
個人の自由は、どの程度か?
社会への働き掛けと、社会からの働き掛け。
自分が行動する上で当然だと思う基準が有るとして、それは社会と不可分の関係だ。
でも、それをどう意識し、どう行動するのか?の自由度の幅が、その人の社会的ポジションニングだと思う。
起業家の面白いのはそのポジションを比較的自在に選べることと、その選択によっては社会にもある程度の影響を与えられることがあるということ。
経済価値はその影響力の目安にはなるけど、その影響をもたらす本質は「価値の創造」にほかならない。
要するに自分がやりたいのは、新しいコミュニケーションを作るということだ。
で、それは社会の風通しや生き方を変える部分があるだろう。
だから、多くの人はそれを恐れるし抵抗もする。変化は面倒だし苦痛も有る。
さらになぜ変えないといけないのか?なんて必然性は誰もわからない。製品価値なんて、極めてミクロな視点の極小解にすぎない。
やりたいことは、結局やりたいからやるに帰着する。
でも、それを継続する上で言葉もお金も人も影響力も必要になるのだから、それをやるために工面もすれば行使もする。
いかにエレガントでスマートであろうがその根本はやりたいからやるだろう。その経済価値も文化的意義も、ある意味言い訳みたいなものだ。
思慮深いとか、配慮が有るとか、言葉が重厚とか、思いやりがあるとか、実は問題かもしれない。
新しい仕事は簡潔な言葉で勢いを持ってやり遂げられるものだから、遠慮深く思慮に満ちた関係性や組織性には合わない。
馬鹿みたいな言葉で生き急いでいるようなチームの方がしっくりくる。大人は損だ。