以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

パーソナルロボット生存の条件を整理して考えてみる。

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パーソナルロボットとして、いったい何が欠かすことのできない生存条件なのだろう?

僕が先ず思うのは「感情の共有」だ。これこそが、パーソナルロボットにとってもっとも必要な機能だと思う。

 

「感情を互いに理解しあい、意味を互いに理解しあう能力。感情面に気を配って、意味をわかちあい、信頼関係を築いてゆく能力。」

これはウィキペディアに出てくるコミュニケーション能力の定義の一部だ。ここでは別に明確に述べてはいないのだけど、そもそも言語的あるいは非言語的にかかわらず、人が人とコミュニケーションするにはお互いがお互いを理解しあおうとする感情的な分かち合いが欠かせない。

だから「感情を理解し合う」や「感情面に気を配る」などの機能は不可欠なのだ。そして、それはしゃべられている言葉の意味合いを感情分析するというレベルでは決して収まらない。

本質的にはその立ち位置、姿勢、身振り手振り、表情や目配せ、口調や抑揚などトータルな感情表現を感じながら、その場その時に瞬間的にプロセスされていくもので、その評価軸の多様性と計算量は凄まじいものだろう。

でも、いずれにしろ、その感情の共有が行われることがまずとても肝心で、それが成されない限りは、いかにジェスチャー表現や視線への配慮、または様々な言語表現の創造や創意工夫が行われても無駄になってしまう。

人と人の間にある種のエンゲージメントが生まれ、人と人がコネクテッドな状態にならないまま、いくら言語表現や身体表現を駆使しても土台無理がある。今のコミュニケーションロボットやソーシャルロボットの悪戦苦闘は、どうもそこにあるのではないか?という気がしてならない。

 

人と人の間に立つことで、それらのロボットは初めてその機能性を十分に発揮できる。

 

が、その人と人の間に立つということの困難性は、なかなか乗り越えられないものだ。

要するにスケジューラー機能とかメール機能とかソーシャル機能とか音楽再生機能とかガイド機能とか検索機能とか、それら様々な機能セットは、それらのロボットたちが人と人の間に立てるようになってようやく意味を持つのだ。

だが、そもそもその間に立てる為には、それらのロボットたちが人達との間において、感情の共有ができるという状態を持たなければならない。

それこそが、目下パーソナルロボットに課せられた最大の課題だと思う。

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designobserver.com

写真はフォトグラファー Vincent Fournier の撮影によるものです。ロボットが日常化した未来を描いた快作だと思います。