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以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

パーソナルコンピュータとパーソナルロボットはどう違って、どう同じなのだろう?

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渋谷のロボットスタート社にお伺いして色々お話を伺ってきました。とっても素晴らしい体験でした(ロボットスタートの皆様、ありがとうございました!)。

個人向けロボット(ファミリーロボットやパーソナルロボットを含む。ソーシャルロボットやコミュニケーションロボットなど呼ばれます)がようやく黎明期を迎えたのだ!と、感慨もひとしおでした。数年前では考えられなかった大きな動きをヒシヒシと感じることが出来ました。

 

そこでトピックになったのは、パーソナルコンピュータやWeb黎明期と全く同じことで、やはり開発者の巻き込みと開発環境の整備・普及が大事だ!と、いうお話です。

でも、それは、まぁ、もっともですよね。パソコンもWebも初期は開発者中心の世界でした。実に納得感があります。

なのですが、その一方、凄く気になったこともあります。

それは、「なぜそれを作るのか?」の問い掛けが不十分に感じたということです。例えばパソコンからWeb、そしてスマートフォンに至る長い歴史。それは情報革命の大きな大きな運動体が描いた遠大な歴史でした。

誰もが情報にアクセスできる。誰でも発信することができる。そして、誰もが共有できる。誰もが知の創造と共有に自由にコミットできる。そういう世界観の達成に向かう大きな運動体とそのイメージについては、数多くの開発者達が自然にシェアしていたように思います。

ですが、ロボットはいわゆる情報へのオープンアクセスや自由な共有とは異なるパラダイムに立脚した製品のように感じます。それが何なのか?は、敢えて挙げるとすれば人との関係性やコミュニケーションの領域に強く関わっている商品のように感じます。

ですが、現時点でのコンシューマー向けロボットには、どうもまだそういう大きな価値軸、ある種の哲学や理想像が欠けているように感じます(感じるだけで、実は本当に多くの深い検討が成されていますが)。

 

なぜそれを作り広めるのか?なぜそれを開発するのか?が、今の段階ではまだ良く分からない。もしかしたら存在するのかもしれないのですが、僕にはどうもそれが見えてこない。そのモヤモヤ感がとってもあります。

 

また、現在の個人向けロボットでは主流となった、ヒューマノイドロボットを幾つか触った結果、強く感じた違和感がありました。

無理矢理単純化すると、それらが「人を模倣して模倣しきれていない」感覚です。人が人らしく感じる感覚は、何か「共感」的に醸造される部分が強いと思います。

人は人とコミュニケーションすることで何らかの共感状態を獲得し、その関係性を理解し、納得し、お互いの人間らしさを感じているのではないか?また、たとえそれがたまたま違和感や疎外感だったとしても、それはそれで何らかの共感であり、感情共有状態だとも言えます。

 

つまり、人は人と触れ合うことでその場に固有の感情共有の場を作れる。それがとっても大事なことのように思います。

「大事」というのは、「重要」と言い換えても良いかもしれません。人の持つ人らしさは、ある意味その場作りを通じて創発的に行われているように見えます。何か一方的なシグナルの発信では、それは出来ない。

一方、人型のロボットのうなずき、まばたき、身振り手振り、言い回し、発話、応答などはそれぞれよく練りこまれていますし、相当高度なものへと進化を遂げていることは確実です。

ですが、いまだに全体としてのまとまりがなく、バラバラな寄せ集めのように感じる面も依然あります。なんというか、外側から人を客観的に観察して、要素集合することで模倣をしようとしているように感じる。結果、どうもうそ臭い印象を拭い切れない。

 

刺激反応の系が個対個に閉じない複雑さが社会的生物たる人間の持つ人間らしさです。そこまでの処理系はまだ現状のロボットは獲得できていません。

そして一方、人は主観(=主観的な感覚や印象)で通じ合うので、その主観的な感覚を喚起出来ればよいのではないか?と思うところもあります。今の人型ロボットはそこの主観的な感覚の喚起が十分にはできていないようです。

どうも、そうでない限りは、どうしても表面的な模倣に付き合わされている感じが拭えないような気がします。人の主観的な印象をうまく喚起するために人の人らしさをよく学ぶのはとても素晴らしいと思うのですが、それを機械的に外面だけなぞってしまっても無理があるのでは?と感じます。その表面的特徴を一方的にシグナル発信しても無理がある。

 

これは今後の製品の進化発展でクリアーできそうに思うのですが、改めて、人の認知的なレベルで人間的な暖かみや優しさを感じ得るところまで行けるのか?は、まだまだ大きな未解決テーマなのだな!と思いました。

 

最初に感じた「なぜそれを作るのか?」の課題設定と、対面的なコミュニケーションで感じた違和感「人の持つ、人らしい主観的印象においてはまだまだ人型ロボットの立ち居振る舞いには無理がある」は、もしかしたらそれぞれ別の課題ではなく、それぞれ同じ大きな課題の表裏なのかもしれません。

「なぜそれをやるのか?」と、「それがどうふるまうのか?」は、実は別々なトピックではなく、そもそものロボット製品の実現を支えるビジョンやコンセプトと密接に関わっている根本的な課題なのではないか?そう思ったりもしました。

そんなことを考える機会を得た、とても貴重な一日でした。

 

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で、歴史的にはパーソナルコンピュータもスマートフォンも主観的印象が良い物しか残らなかった。そうすると、結局その体験性がどうなのか?という課題が依然ロボットにも残っているのでしょう。

その点においてはパーソナルコンピュータもパーソナルロボットも同じ課題を抱えている(パーソナルコンピュータの場合はマッキントッシュがそれを解決したと思います)と言えるのかもしれません。その点では、パーソナルロボットも、その利用者の体験性が解決されない限りは世の中に普及することはなさそうです。そこがガジェットで終わるのか?それとも生活の中に溶け込む必需品に成長するのか?の分かれ目のように感じます。