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以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

所詮、心が無くてはデジタルテクノロジーは虚しい。円満な革命の技術を考える。

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人が何か話したり、行動をすることには、それを動かそうとする、その人ならではの動力が有ると思います。それは例え「暇つぶし」だとしても何らか幸福の実現への意志や意欲が含まれていると思われます。

「そこにいるだけで楽しい」みたいな状況は極めて分かり易いけど、そういう時間と場所は何らかの経緯で"与えられる物"でも有り、何らかの努力で"勝ち取っている物"でも有る。

そういう時間や場所は、そこにいる人だけでなく、そこを支えたり守ったり許したり構ったり助けたりしてくれている、多くの可視不可視の人たちとの様々な関係性、つまり「縁」を通じて成り立っている。

円と縁は似ている、円も縁も、それぞれ平穏や充実を現す物で有りながら、ダイナミズムやムーブメントを内部に有している。動くことと静まることが等しく均等に内包をされていると思う。
だから、変わらないことも、または変わり過ぎることも、それぞれ自然では無い。不自然なことだ。

いかなる満ち足りて平和な状態も各種の変化を閉じられないし淀んでしまう。一方充実感や満足感の伴わない、その場その場の狂騒や混乱は、何らか動き変化をすることは有る。けれども、それだけでは人間的幸福には遠いだろう。

創造性は主に「過剰や過激の側」に宿ると考えられがちだが、むしろ人への感謝や敬意、思いやりや理解を伴った「円相的な充実」にこそ宿るのでは無いか?
悪しきことよりも、善きことを善き意志で、流れに逆らわず、多くの協力や支援、共感や同情を引き寄せて、円満に進める方が意味が有るし価値がより良く実現出来るだろう。

究極的には、「愛を持って愛に触れ、愛をなすことで、結果大きな愛を形成する」ことでは無いだろうか?
愛は時に激しく人を動かし、害することや、凶暴になることも有る。利他を為さず利己に陥ることも多い。破壊的に人間関係をダメにすることも有る。でも、極めるなら"人類愛"のレベルに至らない小さな愛で有る限りは、それは不幸な、狭い行動にしか結実しない気がするのだ。

今話題になってる小学生事件に寄せられた落合陽一さんの一連のツイートを見て考えました。
デジタルテクノロジーは最高の革命の道具なのだけど、それは同時に愛こそを為す、愛の増幅拡散の技術であった筈だし、コミュニケーション性をその価値の本質とする以上は、当然そうでなくては人々に受容されないと思うのです。

以心伝心ですよ!心を持って心を伝え合いましょう!