以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

製品作りを通じた価値創造は常に変化に晒されている。持続的起業家の矜恃について

f:id:roadracer:20141122063830j:plain

東京からサンフランシスコに戻ってあっと言う間に一週間が経とうとしています。柄になくいろいろ人について、或いは起業家と言うむつかしい存在について多少考えるところが有り、全くの断片的メモなのですが、記しておこうと思います。

人を測るのに自分を物差しにするのは間違った判断の元。人の頭を自分の頭で測るのには限界が有る。

ーついつい人のことを自分の価値観で独断してしまうことが有りますが、それは多くの場合、拡大しすぎたり縮小しすぎたり、またはそもそも価値軸を取り違えていたりで誤解を広げてしまいます。もちろん相手の脳は自分の物には出来ません。が、それを再構成する手掛かりは要所要所にある筈なので、積極的に問い掛けて知る努力を惜しみたく無いと思います。

利己主義が突き抜けて利他主義になると素晴らしい。自分の成功の為には多くの人の成功が不可欠。

ー自分だけの成功って本来は存在しないなあと、よくよく考えると分かります。多くの人を幸福に出来る製品やビジネスこそが勝者の筈。それだけ利他出来るのか?の発想を忘れがちなので、いかに人を喜ばせられるのか?を問い続けたいです。ですから、フラットな他者理解は多くの貴重な気づきを含んでいると思うのです。

好きを突き詰めると嫌いもたくさん出て来るけど、その嫌いも好きになる程トコトン好きになりたい。

ー好きは物事の始まり。そこが入り口で多くの偉大な製品や事業が始まっています。でも、多くの場合、好きの持続性には限界が有ります。大好きが本当に大好きを超えるレベルに達すると、好きの先に在る多くの嫌なこと、課題や障害なども含めて好きになれる気がしています。そこまで行けない限りは、なかなか多くの人の幸福に至る大きな仕事は出来ないんじゃ無いかと、感じます。

社会の将来的変化に向けた準備作業が、新しいビジネスの実現アイデアとして結実すると素晴らしい。

ー多くの場合、新しい価値観を体現する製品や事業は時代の先にある新しい価値観や変化を先取ります。すると、新製品開発は社会変化を深く広く見据える目と強く関係していることになります。逆にそう言う視点を欠いてしまうと、今ある価値観のマイナーチェンジや模倣再生産の域を出ずに、なぜそれを苦心惨憺やっているのか?の社会的価値がわからなくなってしまいます。多くの幸福実現に貢献する製品の開発とは、社会的進化発展の眼差しと無縁では無いと思います。

最終的にはそれを使う人が、人として感動を日々感じられると良い。体験価値に勝るものは他に無い。

ーとはいえ、最後の最後その製品の価値が一人一人の体験価値としてしっかり提供されない限りは、そもそもの製品価値は表現出来ず、自然と淘汰され消えて行ってしまいます。何らかの驚き、期待を超えた体験の提供が日々自然に起こり続ければ逆に放っておいても製品価値は高まっていきますし、イノベーションの発生段階も考えやすくなります。

世の中の無理解による孤独は、他に無い価値を捉えている可能性がある。積極的に孤独を楽しみたい。

ーそういった体験価値は一方で一定社会認知を受けるまではマイナー勢力で有り続けます。その無理解に向き合って理解者が増えるプロセスにどれだけ耐えられるかの持続力、耐久性は起業家の厳しくも楽しい醍醐味とも言える期間です。辛ければ辛い程、それは大きな見えない価値観の実現を含んでいるのかも知れません。孤独を積極果敢に楽しめる境地に至れると最高だなあと、よく思います。

温故知新、過去に実現され、成功出来なかった物には新たな価値がある。環境が変わると見えてくる。

イノベーションは時系列としては未来に向けてですが、そのタネは多くの場合は過去に潜んでいます。音楽もストリーム再生は現在に主力ですが、過去においては死屍累々です。でも、社会的環境や技術インフラが変わることで、今のような隆盛が有ります。ですから、過去の失敗こそ宝の山だなあと思うことが多いです。

起業家が優れた起業家と出会う価値は計り知れない。起業と起業の衝突と軋轢が生み出す価値爆発。

ー多くの場合、起業のタネは重なっていたり似通っていたりします。が、それをどう捉えてどう解決するのかの価値観の部分、方法論や狙う市場の位置など千差万別なのがほとんどで、同じことを同じスタイルで追求する様なことは、余り有りません。なので、それぞれが競い合う過程には多くの価値の爆発が生まれる瞬間が含まれています。出来上がったものは一定安定していますが、その手前には正解の無い環境下での幾多の衝突軋轢と、その結果としての新価値発現が有ります。

全ては何らかの発明を経て世の中に在る。その発明には、誰もが関われる。作る以外に使うも含めて。

ーですから、全ては正解の無い変化の大海が広がっています。そして、今は開発行為自体がコモディティになるなかで、それを使う行為に多くのイノベーション機会が潜んでいると見なせます。言い方を変えると、技術の開発よりも使い方の発明にこそ大きな価値が潜んでいます。逆に、いわゆるユースケースやアプリケーションの無い技術開発は不毛とも言えます。それではユーザーの体験価値は作れませんし、結果人の幸福に繋がる製品価値の実現にはいたり切りません。
多くの企業や発案者、開発者たちが日々身悶えて苦しんでいる課題ですし、環境は変化するので正解の解き方は日々変わっていきます。しかも、起業家の孤独の期間はそれが独自の新しさを有していればいる程長く深いのです。