読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

人と遊びと労働のパラダイムシフト - Tinkering という製品開発プロセス -

動物っていうのは「遊ぶ」のが、大好きだ。それこそ、理屈抜きで。むしろ、それを遊びだとは意識せずに本能的に遊びに興じる。

そして、子供の本文は「遊び」だ。遊んでる限り飽きもせず、ずっと動き回っている。そういう時は食事とか睡眠さえ余計なもののようになってしまう程だ。


遊びで生きているという存在状態は、そもそも生物が遊びという創造性の発露をその本質としている証拠の様にも見える。遊びの創造性は余計なものではなく、それこそ生き物の本質なのではないか?

ところが大人になればなるほど、遊びは排除され、余計なものとか、無駄なものとして忌み嫌われるようになる。それは時間の無駄だとみなされる。そして、やがて、遊びは余暇の暇つぶしとか、余計者の道楽、生産性の無駄遣いとされてしまう。
大人は余り遊ばない。または、遊びを社会の余剰とみなすことで無理やり社会性と付き合う術を学んでいるようだ。

f:id:roadracer:20140809165735j:plain

ところが、今、モノづくりの世界で起こっている TINKERING の概念とは、そのまま遊び=創造性の表現をシステマティックにやろうというアイデアだ。製品開発プロセスと考えるには余りに自由で囚われがない。

粘土やダンボールで形をさぐるのはプロトタイプではない。これも思考なのだ。文字ではなく、形や感触で「考える」。そして考えたら、いよいよプロトタイプだ。ここはTinkeringと呼ばれる作業である。電子工作だ。

(奥出直人のTwitter的生活 Tinkeringしなくちゃ意味がない)

TINKERING は単なる製品施策検討の意味でのプロトタイピングではなく、製品コンセプトを試しながら、よりそのアイデアを刺激的に練り上げていく新しいモノづくりの方法論だ。

そのプロセスは、より精度や洗練を上げていくためのプロセスではなく、もっと創造的な遊びの領域にある。

 

20世紀はいわゆる生産性の向上や効率的な運営こそが「是」だった。ところが、21世紀に於いては、勤勉で遊びを排した、無駄のない労働は、もはや創造性の対極的な存在だろう。

つまり、産業は発展の過程で、より自由で制約のない、遊びの持つ価値を再発見しつつ有る。無計画かつ無邪気に行われる。「遊び」こそが、主たる創造的労働の主幹となるのかもしれない。

デザイン思考の特徴は沢山のアイデアを瞬間的に生み出すことにある。ほとんどはたいしたことのない凡庸なアイデアだ。だがアイデアが多数あつまり、エネルギーとなって全く新しい創造的なアイデアが創出する。なので、最初のアイデア群にはいいアイデアが無いのが普通。それを恐れてはいけない。

(奥出直人のTwitter的生活 Tinkeringしなくちゃ意味がない)

こういうプロセスは従来の生産的組織にはなかなか難しかったプロセスだ。

ただ、本来的に人が求めているのは、そういった無制限の想像力から生み出される触発や喚起の生まれる瞬間や体験に他ならない。良い製品とは楽しいものだ。喜ばしいもの。嬉しさのふんだんに感じられる製品こそが市場で評価を受ける。

例えば、ダイソンやテスラもそうなのだけど、それを触って体験した時驚きがあること。それを通じインスパイアされること、新しい価値への気づきがあること。そういう製品であるかぎりは製品価値は失われない。そして、そういう製品でない限りはコモディティとして市場から見放される。従来の労働集約的な生産性の論理では突き抜けれれない事態を、どうにかして乗り越える必要があるだろう。

 

その一方、TINKERINGのプロセスは、明確な結論や分かりやすい生産性の原理にハマらない。結論のない探索をえんえん自由な状態で繰り返すのは、終わりのないピクニックをえんえんと続けている様なものかも知れない。

でも、それこそが遊びの本文であり、創造性の発露であり、本質的な「生産」ではないかと感じる。

遊びの復権を心から讃えたい。

f:id:roadracer:20140809165714j:plain

 (注釈;写真は、一枚目がSONYのMESH、二枚目がLittleBItsです。それぞれTNIKERINGそのものを体現したような製品です)