以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

パラダイムの変革とは自己否定の連続だ。シリコンバレーでの製品開発マインド - デザイン思考の持つ意味 -

Google Glassのインダストリアルデザイン。それははパッと見て感じるよりは、現実に装着した場合、とても良く考え抜かれていることが良く分かる。

相応の重量物を無理なく装着させ、しかもそれなりに快適に操作することを可能にするのはとても難しいデザイン課題だ。それをまがいなりにも実現している事自体が非常な偉業だ。

そして、そのUIUX。これも実に良い仕事だと思う。今の今に至るまで全く慣れることの出来ない(もはや醜悪とも言える!)Android OSが、ここではキビキビと素早く、極めてよく洗練された画面デザインで、その反応性だけでなく直感的に理解可能な、実に細やかに調整された画面遷移をもたらしている。

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そういう意味では、ハードウェアとソフトウェアの双方でGlassの完成度は高い。しかも開発プラットフォームとしての広がりを備えているのだから、Glassの土台で創意工夫するサードパーティの総力まで考えれば彼らの持つ力の総量はno limitだと言える。

が、ここまで良くチューニングされ、美しく統合されているグラスでさえ、所謂モーニング・プロブレム(朝、それを持ち出す習慣をもたらせられるか?)と、イブニング・プロブレム(毎夜、それを充電する習慣をもたらせられるか?)は、簡単には打破しづらいと思う。

ウェアするコンピューターというハイブロウなテーマ設定は、その一方でとても日常的なユースケース。そしてスマートフォン以上の簡便性、利用価値、快適極まりない体験価値が含まれていない限り絶対に「モノ」にはならない。

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それにはOSの出来の良さやデバイスのデザイン及びその実装以上の「自然に身につけるべきユースケース」が不可欠だし、それをソフト・ハード両面で見事に実現できない限りは張子の虎だ。

でも、もしそれが出来れば、そのデバイスは常にウェアし、人の行動全般にアクセスの出来る、とんでもないポテンシャルを有した情報デバイスであり、クラウドへの入り口になる。

スマートフォンが時々ポケットから取り出し、そこからまたポチポチとタップしてするメニューやスイッチで操作されるPCスタイルの体験型製品である限りは、その限界は明らかだ。

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そして、日本企業は、恐らくハードウェアの実装に於いてはグラスの数倍素晴らしい物を実現できる能力を持っている(嘘ではない、その実例は日々目にしている)。

超小型カメラ、超小型ディスプレイ、小型長寿命のバッテリー、その他センサー、そして各種素材の製造加工、量産能力や品質管理など多くの面で簡単に凌駕することが出来る。

なにしろ、Googleはハードウェア・マニュファクチャリングに於いてまだまだ経験の少ない駆け出しメーカーだ。

が、それを最高度のアプリ及びクラウドと統合すること。そしてそれを最高度のマーケティングで世間にもたらすこと。特にグローバル市場相手にマーケティングすることは実に困難な大事業だ。優れたハードウェアは、その構成要素のごく一部だ。

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多分、ハードウェア開発の能力に比してもより一層重要と言える「市場化」の問題。特に新規市場の開拓に於いては、日本企業にはもはやmission impossibleだと言える。

例えば、シリコンバレーでは、製品開発はデザイン思考的な、マーケティング(=顧客価値)を指標にした、ユーザー目線主体の開発手法が主流になっているが、日本メーカーは相変わらずサプライ・サイドの都合に沿ったスペック至上主義のままだ。

企業がその製品の提供価値を(勝手に)決め、製品開発し、それでマス・マーケティングを行う。が、それが顧客価値を確実に有しているかどうか?のデザイン課題は十分に検討することができない。

なぜなら、製品開発時の製品デザインの仮説検証は為されないまま、こういう製品仕様&機能であるべきだという決め付けで進めているので、そのマーケティングはどうしても後追いの帳尻合わせになってしまう。

リサーチすることで新領域の製品価値を見極めるのは無理な話だ。それを知らない人間がその製品価値を言えるはずがない。それを予め知るには、それ自体が存在する必要が有る。そのジレンマを解決するためにデザイン思考が役立つ。

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あるいは、既に成功した製品のドメスティックな模倣しかない様な悲惨な状況が現在の国内メーカーの置かれている環境だ。既にあるものの改善改良はたやすい。が、その様な猿マネ製品を顧客は喜ばない。(ルンバの真似やGoProのパクリ製品を観るときの情けなさたるや!)

 

Google Glassはまだまだ成長途上だし、未完成だ。

しかも、自分自身の価値観から視ると余りにマシン依りの製品デザインに見える。が、日本メーカーはこれだけのものをハード・ソフトの融合体として開発できるだけの世界観や哲学をもはや持っていない。

ガジェットメーカーとしては超優秀だとしても、これから世界市場は「全く新しいパラダイムを美しいデザインで先導するような製品」。つまり、アップルがもたらしたような世界市場製品以外を、もう誰も必要とはしてはいない。

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パラダイムの変革とはつまり自己否定の連続だ。

デザイン思考のモノづくりはそういう自由な精神の自由な発露であり、連続的運動に他ならない。

もし、真の心の自由が得られるなら、シリコンバレーでもどこでも出かけて行って自由に語り合えば良い。

自由な試作をドンドン人にぶつければ良い。「物」は自ずとその作り手の精神を語り出すだろう。それが体現する世界観に強く共感できない単なる「物」に、人は対価を支払わないだろうと思うのだ。

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製品の機能や仕様ではなく、それをもたらす創造者としての世界観を磨こう。

アップル以降、特にiPhoneの登場以降コンシューマー製品はその市場化の際の価値軸を展開し、それのスペックや機能性ではなく、その美しさと世界観の持つ素晴らしい理想像を称揚する様になった。

そういう意味では、本家本元のアップルでさえ、パラダイムの変革を成し得ない限りは未来永劫安泰ではない。だからこそ却ってVentureの製品にも等しく可能性があると言えるだろう。

シリコンバレー流の製品開発方法は、極めてソフトウェア開発のパラダイムに近似している。その大きな機会に我々は直面しているのだ。ソーシャルやクラウドの新次元は新しいハードウェア開発のなかにこそ有る。

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