以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

TEDx Kyoto Follow-up どうして自分はずっと「コネクト、コミュニケート、シェア」にコダワリ続けているのだろうか?

TEDx Kyoto 2013 で幸いにも「 Ideas Worth Spreading 」の概念に触れることが出来たので、そこでの貴重な体験を通じて振り返ることの出来た、自分自身のバックグラウンド(思想や思念)について、改めて書き記してみたいと思います。

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あらためて強く感じたことですが、自分の「コネクト、コミュニケート、シェア」に関わる強い想いです。これはなんだか生得的というか先天的というか、自分が想った以上によりずっと根強いものが有るのだなと想いました。

あとは、なにかすごく純粋さと言うか、馬鹿馬鹿しいほどにストレートに、ダイレクトに、生身の、中核の、本質の、内奥の言葉を伝えたい!という気持ちがものすごく強いのだなあと思いました。

 

そして、以上の二点を総合した場合、人が純粋な精神をさらけ出し、お互いが分け隔てなく、それを共有しあう世界と言うものを、しかもかなり深い部分で期待し、その実現に少しでも貢献したいという欲求をずっと持っているのだということを痛感しました。

そこで、恐らくテクノロジー、ファイナンス、ビジネスモデル、起業家精神、開発者としてのマインドなど様々な構成要素は、ある意味上の精神性に基づく「道具」であったり、テコ入れの「方法論」なんだなと思うのですね。手段であって目的ではない。

 

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その原点として思い返したことを幾つか.....。

 

ひとつめは幼年期の出来事なのですが、凄く小さい時に参加したお葬式で初めて知った人の死(人間には終りがあるという事実)に恐れを感じ、お天道さまに向かって永遠の命を欲しい旨お祈りした記憶があります。幼いなりに物凄い恐怖だったのでしょうね。

そして、高校生になってからはオートバイに夢中になるのですけど、それ以降社会人になるまで何回か事故死しかけるのです。そこで感じた臨死体験的な恐怖感はもしかすると自分の精神的な成り立ちに大きな影響を与えているのではないかなと感じます。人の寿命に限界が有ることの強烈な再認識と言えるかもしれません。

また、幼少期からずっと根強くあり続ける、特に異邦人と対話をしたくて仕方ない強い欲求の強さがあります。そもそも英語なんて喋れない子供時代から、よそ者の人と好奇心全開で話をしないと気が済まないという気持ちがとても強く、ずっとその欲求を抑えられないのですね。そういう興味関心は未だに衰えず、多くの場合の自分の行動原理になっていると思います。異邦人とのコミュニケーション欲求の強さです。

 

ここに書いているのは本当に断片的なメモなのですが、自分が「人間同士のオープン・マインドな繋がりあいと共感共有をなぜ純粋に欲求するのか?」を考察する上での自分なりの気づきになればと想って書いてみました。そういう感覚を持っている方の何かしらの共有共感が有るといいですね。