以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

神田明神へのオフィス移転と上野の国立博物館訪問 ウェアラブルデバイスのデザインを考えた一日について

一時的に日本に戻ってきてオフィスの移転(渋谷から御茶ノ水 神田明神へ)をしつつ、Telepathy Oneのデザインやソフトウェアの改善改良を日々進めています。

シリコンバレーではIDEO San Franciscoのメンバーと語り合う機会を得て、改めて「全く新しいウェアラブルのデザイン」について深く考えることができました。

デザイン言語」という言葉がありますが、Telepathy Oneを形作る世界観や概念を共通理解する言葉が大切だと非常に強く感じています。

なぜなら、その製品がマーケティング的な価値仮説としてだけでなく、ソフトウェアやスクリーンやデバイスのデザインなどデザイン要素も含めてしっかりした「背骨」の様なものが無いと常に「なにをすべきで、なにをすべきでないのか?」が揺らぎますし、パッケージや広告、ウェブサイトなど何をデザインするにもその都度ゼロベースの議論が必要になってしまいます。

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ただ、上の議論は実のところ余りまともに取り扱われていないように感じます。直近、どんどん市場に送り出されてくるウェアラブル・デバイス(ヘルスケア系もウォッチ系も含めて)は出来の良い物はジョナサン・アイブの模倣品。出来の良くない物は出来の悪いSF映画用小物って感じです。

つまり、アップルが体現する、もはや遺伝子レベルになっているのではないか?と言うデザイン言語にタダ乗りすることでしか、最新の製品開発が出来ていないのではないか?という疑念を感じるのです。

では、一方Telepathy Oneは?というと正直まだまだデザイン言語を独自に開発確立出来るところまでは至っていません。

なんとなく「(人の頭を取り巻く)ゆるやかな曲線で構成された円環を軸に存在感を極めて希薄化したモノ」という程度の言葉化しか出来ていません。そういったなか、神田明神湯島聖堂の囲まれた新オフィスにいながら思いついたことが有りました。

「そうだ!すぐご近所に上野が有る!」....そうです。上野の東博東京国立博物館)には国宝や重文の国家的美的遺産が溢れかえっているのです。

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そこで早速テレパシーのメカデザイナー東博に出かけて「日本の伝統美」を鵜の目鷹の目で追いかけてみました。もちろん、押っ取り刀で押しかけてニワカ勉強でやっている訳ですから、大して洞察が働いているわけではないのですが、改めてとても驚きました。

当たり前ですが数千年の伝統から選び抜かれた逸品のなかでも、さらなる選り抜きなのです。本当に息を呑む出来栄えの物ばかり。本当に素晴らしい!

ここから何を学び、何を活かし、何を製品に応用するのか?は、はっきりまだまだ時間の掛かることで未知数ですが、こういう素晴らしい美的アセットが膨大に(しかもほんの目前に)眠っており、新しい解読と応用を待っているのか!?と思うと、実に胸が熱くなります。

極論すると、あらゆる道具というものは全て時代を超えて人に何か非常に深い問いかけを投げ掛け続けています。

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茶道具も侍の戦争道具も全く同じくで、機能性と美意識と素材や製造方法等の組み合わせが日々刻々と歩んできた"創造性の塊"だと言えます。

人が身に付け、ある特定の目的達成することと(機能性)、それを身につける者の満足感(美意識)との高度なバランスは、それが茶碗や刀剣であろうと、あるいは宗教催事道具であろうと、あるいは最新鋭のウェアラブル・デバイスであろうと全くの同一線上の勝負だと言えます。

時代はリニアに前へ前へと前進しているのではなく、創造性の領域に於いては数千年の間の創意工夫が(先人も現代人も)全く同じ土俵上で繰り広げているのです。

そう考えると、シリコンバレー最前線のIDEOが持っている方法論やアイデアにもまるで負けない様な豊穣な文化的美的言語の宝物庫が目前にあるのです。そういった素晴らしく恵まれた、デザインの精製鍛錬の繰り広げられている場に我々は皆住み込んでいるのなのだなあ....と思い至った一日なのでした。

 

注釈:デザイン言語とは?「恣意性の強い記号を介在せずにコミュニケーションを行う為、プロダクトの持つ“素材”や“色”や“かたち”などを要素としてデザイナーが仕組むコミュニケーション・コードの体系。デザイン言語は“素材”や“色”や“かたち”などの要素が人間に与える生理的影響や、それらの要素に既に備わる、文化的な背景によって成立しているコードをメタ言語として成立させる」