以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

人生に向き合うプロジェクト

 

大の大人がオフィスで、開発現場で、「人生」について正面から語り合う機会はなかなか無いかも知れない。でも、今取り組んでいる新製品開発のプロジェクトでは日頃から人生を語り合う(ビールも入る)。

そもそもソーシャルって何だろう?ライフロギングって何だろう?フォトシェアって何だろう?そして人はなぜ記録するんだろう?何を記録したいんだろう?人の営みは日々どのように営まれ、記憶され、振り返られるのだろうか?

あるいは、ブログはどうあるべきか?ソーシャルウェブはどうあるべきか?フォトシェアはどうあるべきか?ライフログはどうあるべきか?それは決してシステムやツールの問題ではなく、人が時間と場所をどう走り抜け、それをどう思い出し、どんな風に他者と共感共有するのか?あるいはしたいのか?の課題だ。

人は一人では生きられないが、同時に人の人生が充実する為には個人と個人の相互の拡充と交流が欠かせない。だからこそ出会いに意味がある(意味の無い出会いなど無いのかも知れない)。

アプリ開発、ウェブサービス開発は個別の技術的課題への対処ではない。それは人の生き方にどう働きかけ、いかに新しい価値を提供し、いかに新しいライフスタイルを実現出来るのか?の考案と実装と提示だ。人がいかに生きるのか?への新しい提案だ。

情報の粒度はドンドン細かくなっている。情報の入力はどんどんカジュアルになっている。そして、情報のデリバリーはますます自動化されコンテキストは高度化している。それらをいかなる生活態度に結びつけるのか?行動と思索はそのフォーカスを鍛えるための日々の繰り返しになる。

人生をどう捉え、人生をどう看做し、人生をどう豊かにするのか?の開発プロジェクトには価値がある。それが今の開発プロジェクトの醍醐味。現時点での生活習慣生活態度のみに囚われず、新しい価値観をいかに発見し実装出来るのか?それを激しく鍛え上げるのが今の仕事。それを忌憚なく闘え合えるのが今のチーム。

人生に真剣に向き合える開発チームが楽しく無い筈は無い。人生をどう考えようか?どう豊かにしようか?何が提供出来るのか?てらいなく向き合えるチームが強くなれない筈が無い。そこに中途半端な妥協や勇敢さの欠如があっては意味が無い。とことん問い質して機能を削りに削る(加えるのではなく削る)のが面白く無い筈が無い。

スクラムで毎週仕上がって行く実働プロトタイプは何か目に見えない物を掴みつつ有る。それが人生のある素晴らしく輝かしい一側面を捉えている事を祈る。そして、またそれがブログやソーシャルウェブの既成概念を書き換える様な何かを備えている事を期待する。