以心伝心記

Technology is anything that wasn’t around when you were born.

ジャパニーズスタートアップは何が新しいのか?

 

謙譲表現の限界を越えよう

新潟で講演をして来ました。記念講演的な物はほぼお断りしているのですが(そんなに偉く無い!)、参加者の過半数を若者にしていただくというワガママをお聴き頂いて実現した。そこで感じたコトなのですけど、それは以前からずっと魚の骨が喉にささっているような感じで気になっていました。なぜ日本人のスピーチは遠慮深く謙遜に満ちているのか?それを特に感じるのはあらゆるフレーズに登場する謙譲表現です。

「私たちはこういう製品を開発させて頂いています」「こういうアイデアで世界に展開をさせて頂いています」「お陰さまで大変な好評を博させて頂いています」、、、。日本人的な美意識価値観としてはある意味非常に自然で、とってもしっくり来る表現です。ですが、ある種の疑問も感じます。

「あなたが製品を開発するのはあなたの意志であり、誰の物でもないですよね」「世界展開はそういう強い意志と欲求があるからやっている訳で、誰かへの配慮とか遠慮でやっている訳じゃないですよね」「製品が好評なのはあなたのたゆまない努力と創意の賜物であって、誰かがいつの間にかそれを成し遂げた訳じゃないですよね」

企業活動を行う事。製品を開発して提供する事。組織を作りそれを運営する事。とにかくあらゆる点で、カンパニーが生業を営むためには、多くの見える見えないに限らず総合的な協力と協業が欠かせませんし、そもそも売り手に対して買い手がしっかり愛着を持って付いてくれるからこそ営業が成り立ちます。

 

心を込めて競争に向き合う

そこでは単なる利己心のぶつかり合いだけじゃなく、他己的な思いやりの感情や慈しみの表現が社会的な円滑材としても重要な役割を有しています。会社には社会的公器の側面が大いにありますからね。

でも、スピーチやプレゼンはその場その場が雌雄を決する闘いの場です。限られた時間で限られた資源を最大限投入して勝ち抜かなければ生き残れません。そこで「皆様のお陰です」とやっていては、時間も消耗しますし、説明も鈍磨化しますし、なにしろ強い印象で他を押しのけて記憶に残存する事すら叶いません。

SXSWでは五万人が10日間創造性を闘わせる素晴らしい空間が繰り広げられます。その機会でかつてのTwitterやFouresquareを凌駕する様な大成功を収める可能性はむしろ超ナノサイズの名前もお金もないスタートアップなのです。

そのプレゼンの瞬間に「おかげさまでやらしていただいてます」「我々は取るに足らない存在で、世界の片隅で地道にこつこつやらしてもらってます」なんてやっていては、そもそも「やる気が有るのか?」「何を言いたいのだ?」「自信が無いならこんなとこ来るな!」です。本気で闘う事は恥ずかしい事じゃありません。むしろ、世界を変える様な製品を届ける以上、心を込めて闘いに向けた意志意欲を伝える方が断然健全でフェアなことです。

 

コミットとは言い切ること

遠慮大敵謙遜反対です。もっと発想的には「世界中で我々こそがこの問題を解決出来る最終走者です!」「世界は我々を待っていました。なぜなら究極の解答を発見し、それを発明したからです!」そんな態度、姿勢で臨むべきなんです。

昨晩やった(新潟から帰京して即やりました)SXSW作戦会議で拝見していても、日本のスタートアップがもたらすサービス価値は相当良いレベルのアイデアとインプリメントで出来ています。

しかも、機会がうまく合致すればそれが世界の新潮流になるかも知れないポテンシャルを有しています。ただ、残念ながらそれを世界規模の聴衆に届ける為のマインドセットはまだまだこれからなのです。

世界規模の市場に向けて彼らを圧倒出来るスタンスとプレゼンス、それを体現して行かないと聴衆はすぐに次のステージやブースに移動してしまいます。印象も残せませんし、製品を届けられません。実にもったいない話です。せっかくの開発もマーケティングも無力化します。そこだけはそれこそ幾らお金が有っても補えません。

ですから、日本人的美徳の奥深い価値、その豊かさを心に秘めつつ、その一方で世界的プレイヤー達の度肝を抜く様な態度、説明、行動、力量が示せるよう訓練するべきです。僕は「茶の本」で日本人的美意識を非常に美麗な英文で紹介した岡倉天心のこのエピソードが大好きです。機智に富んでいるし、なにしろその態度が立派です。

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1903年(明治36年)、天心は米国ボストン美術館からの招聘を受け、横山、菱田らの弟子を伴って渡米。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に1人の若い米国人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。

<原文>

"What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?"

"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?" 

Wikipedia Japan より抜粋

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明治と言う時代はまだまだ日本の国力は貧弱で世界の一流国にはほど遠かった。その時代背景も加味して読み直すとさらに凄いなと思います。彼の示した、英語が流暢で世界の美学史にも通暁しながらも、その一方で日本的美意識の現代的解釈をグローバルに展開しようとした激しい行動。そこに明治人の気概と逞しさを感じます。

謙譲表現をやめてみる。それは案外大きな一歩に繋がるかも知れません。 Japanese StartUps Can Change the World?

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